強力な軍隊と、海上を封鎖した軍艦によって救援物資も届かなくなったコンスタンティノープルは、およそ50日間の攻防の末に陥落しました。
コンスタンティノープルの陥落と共に、ビザンツ皇帝コンスタンティヌス11世は戦死し、4世紀から続く1000年帝国の歴史が幕を閉じました。
メフメト2世はコンスタンティノープルの重要性を認識していたため、都の重要建築を接収・改築し、ビザンツの文化を残しつつオスマン帝国の新たな首都として、
イスタンブールと改名します。
コンスタンティノープルの陥落の際、メフメト2世はすぐさまビザンツ教会だったハギア=ソフィア聖堂に入り、モスクとしての転用を宣言したとされています。ハギア=ソフィア聖堂にはミナレットが建立され、帝国の中でも最も格式の高いイスラム寺院となりました。後に建築されたスルタンアフメト=モスク(ブルーモスク)はこのハギア=ソフィア寺院を元にして建築されました。
(ハギア=ソフィア)
イスタンブールは、オスマン帝国の首都として都市開発が皇帝自らの手によって行われ、モスクやマドラサ、スークなどの規模から言ってもイスラム世界でも最も重要な都市の一つとなります。
また、メフメト2世は自らの居住地としてトプカプ宮殿を建設し、以後オスマン帝国皇帝はここに住むようになりました。
(トプカプ宮殿)
こうしてオスマン帝国は長年の宿敵ビザンツを征服し、さらなる発展をとげることになるのです。