国際連盟の設立
第一次世界大戦の後、国際平和を遂行するための国際機関が必要であるという考えから、アメリカ大統領
ウィルソンの提案によって、
国際連盟が設立されます。(本部はスイスの
ジュネーブ)
当初は日本を含めた4カ国(
フランス・
イギリス・
イタリア・
日本)が常任理事国を務めました。
現在の国際連合の前進とも言える国際連盟ですが、決定的に異なることが3点程ありました。
■1点目 主要国の不参加
まず提唱した張本人である
アメリカは国際連盟に参加しませんでした。
これはヨーロッパのことには口を出さないという
モンロー思想が当時のアメリカの主流であり、世論が国際連盟への参加を拒んだためです。
また大国ロシアもロシア革命の後、あたらしく
ソヴィエト社会主義共和国連邦が誕生したばかりで、当初は加入が認められていませんでした。
当然のことながら、第一次世界大戦の敗戦国であったドイツも仲間はずれです。
このように大国が不参加であったために、国際連盟はうまく機能するかという点では不十分なものでした。
■2点目 独自の軍を持たない
国際連合では、国際連合の指揮下にある軍隊を持っています。
PKO(平和維持活動)での活躍が大半ですが、れっきとした軍です。
しかし
国際連盟にはこの軍がありませんでした。つまり、なにか1国が非人道的な振る舞いをみせても軍で制裁を加えるということができなく、あくまでも
口頭での注意勧告が国際連盟の大きな仕事になっていたのです。
■3点目 全会一致の法則
国際連盟では何か事を決めるときに、
加盟国すべての賛成を得ることが必要でした。
最大で60カ国近く加盟国がありましたので、すべての国の賛成を得るということは大変です。
これでは大切な決め事はなかなか決まりませんね。
ちなみに、満州事変は日本が自作自演で行ったものであり、日本の満州支配は無効であるとした決議に関しては、日本以外すべて賛成をし(タイは棄権)、それがきっかけで日本は国際連盟を脱退することになります。
この国際連盟ですが、
新渡戸稲造が事務局長次長として選出されており、日本の国際連盟におけるポジションは相当なものでした。後にこれを脱退し第二次世界大戦・太平洋戦争へと突入してしまうわけですが、脱退前後の10~15年における日本の変化には驚かされるものがあります。
二度と繰り返してはいけない過ちですね。