密教芸術
天台宗や真言宗の隆盛に伴い、密教芸術が発展しました。建築では、山間に寺院が建てられるようになり、地形に応じてさまざまな伽藍配置の密教寺院が建てられました。室生寺の金堂や五重塔がその代表例です。
彫刻では、密教の如意輪観音や不動明王などの仏像が数多く作られました。木造の一本造りが主で、元興寺の薬師如来像、金剛寺金堂の薬師如来像、観心寺の如意輪観音像、室生寺金堂の釈迦如来像などや、弥勒堂の釈迦如来坐像などが有名です。この時代の彫刻は衣紋に翻波式という波状のひだを繰り返し彫る表現が取られ、ふくよかで神秘的な雰囲気が特徴的です。
絵画では、園城寺の不動明王像など、密教系の神秘的な仏画や、神護寺の両界曼荼羅、教王護国寺の両界曼荼羅など
曼荼羅が発達しました。曼荼羅とは、密教で重んじる大日如来の智徳を表す金剛界と、同じく慈悲を表す胎蔵界の仏教世界を図化したものです。肖像画の絵師としては、百済河成や巨勢金岡らが有名です。
書道では、唐風文化の唐様が広まり、嵯峨天皇・空海・橘逸勢が能筆家として知られ、後に三筆と称せられました。空海が最澄に送った書状の『
風信帖』は唐様の名筆です。
嵯峨天皇は、法典編集と同時に、中国風の文化を重んじ、日本在来の慣習と融合させ、宮廷儀式を整えました。嵯峨天皇により『
内裏式』が撰され儀式書が確立しました。漢詩文も奈良時代の『懐風藻』以降、9世紀前半の嵯峨天皇・淳和天皇のころの814年(弘仁5年)に小野岑守らの撰による『凌雲集』、818年(弘仁9年)に藤原冬嗣・仲雄王らの撰による『文華秀麗集』、827年(天長4年)に良岑安世・滋野貞主らの撰による『経国集』といった漢詩集が編まれ、漢文学が発達しました。
この頃の著名な文人は、嵯峨天皇・空海・小野篁・都良香・菅原道真などが有名です。空海は漢詩文作成についての評論として『
文鏡秘府論』を著し、空海の詩文を集めた『
性霊集』が編まれました。
文章経国の思想に応じて、大学でも学問が盛んになり、儒教を学ぶ明経道のほかに、中国の歴史・文学を学ぶ紀伝道が重要視されました。有力な氏族は子弟の教育のため大学別曹を設置し、和気氏の弘文院、藤原氏の勧学院、橘氏の学館院、在原氏や皇族の奨学院などがありました。大学は高級官僚を養成する機関でしたが、空海が創設した綜芸種智院は庶民に教育の機会を与えたことで有名でした。