平家物語
徳大寺厳島詣
内侍共、
「これまでのぼる程では、我等が主の太政大臣入道殿へいかで参らであるべき。」
とて、西八条殿へぞ参じたる。入道相国急ぎ出あひ給ひて、
「いかに内侍共は、何事の列参ぞ。」
「徳大寺殿の御参り候ふて、七日こもらせ給ひて、御のぼりさぶらふを、一日路送り参らせて候へば、
「さりとてはあまりに名残惜しきに、今一日路。」
「二日路。」
と仰せられて、これまで召し具せられて候ふ。」
「徳大寺は、何事の祈誓に厳島までは参られたりけるやらむ。」
とのたまへば、
「大将を御祈のためとこそ仰せられさぶらひしか。」
その時入道うちうなづいて、
「あないとをし。王城にさしもたつとき霊仏、霊社のいくらもましますを差し置いて、我が崇め奉る御神へ参つて、祈申されけるこそありがたけれ。これほど心ざし切ならむ上は。」
とて、嫡子小松殿、内大臣の左大将にてましましけるを辞せさせ奉り、次男宗盛大納言の右大将にておはしけるを超えさせて、徳大寺を左大将にぞなされける。あはれめでたかりけるはかりことかな。新大納言もかやうにかしこきはからひをばし給はで、由なき謀反起こひて、我が身亡び、子息所従に至るまで、かかる憂き目を見せ給ふこそたてけれ。
つづき