蜻蛉日記
なほあやしく例のこちにたがひて
なほあやしく、例のこちにたがひておぼゆるけしきも見ゆべければ、やむごとなき僧などよびおこせなどしつつ、心みるに、さらにいかにもあらねば、かうしつつ死にもこそすれ、にはかにては思しきこともいはれぬ物にこそあなれ、かくてはてなば、いとくちをしかるべし、あるほどにだにあらば、思ひあらむにしたがひても語らひつべきを、と思ひて、脇息(けふそく)におしかかりて、書きけることは
命なかるべしとのみのたまへば、見果てたてまつりてむとのみ思ひつつありつるを、かぎりにもやなりぬらん、あやしくこころぼそき心ちのすればなん。つねにきこゆるやうに、世ににひさしきことのいと思はずなれば、塵ばかりをしきにはあらで、ただこのをさなき人の上なん、いみじくおぼえ侍るものはありける。たはぶれにも御けしきの物しきをば、いとわびしと思ひてはんべめるを、いとおほきなることなくて侍らんには、御けしきなど見せ給ふな。いと罪ふかき身にはべるは、
風だにも思はぬかたによせざらば このよのことはかのよにもみむ
はべらざらん世にさへ、うとうとしくもてなし給ふ人あらば、つらくなんおぼゆべき。としごろ御覧じはつまじくおぼえながら、かはりもはてざりける御心を見たまふれば、それ、いとよくかへりみさせ給へ。ゆづりおきてなど思ひたまへつるもしるく、かくなりぬべかめれば、いとながくなん思ひきこゆる。人にもいはぬことの、をかしなどきこえつるも、わすれずやあらんとすらん。をりしもあれ、対面にきこゆべきほどにもあらざりければ、
露しげきみちとかいとどしでの山 かつがつぬるる袖いかにせん
と書きて、はしに
「あとには、問ひなども、塵のことをなむあやまたざなるさへよくならへとなん、きこえおきたる、とのたまはせよ」
と書きて、封じて、うへに
「忌みなどはてなんに、御覧ぜさすべし」
と書きて、かたはらなる唐櫃(からうづ)に、ゐざりよりていれつ。見る人あやしと思ふべけれど、ひさしくしならば、かくだにものせざらんことの、いと胸いたかるべければなむ。