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18_80 世界市場の形成とアジア諸国 / 東南アジアの植民地化

南・東南アジアの植民地化(インド帝国、オランダ領東インドなど) 受験対策問題 81

著者名: レキシントン
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南・東南アジアの植民地化で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

インドの植民地化

・長らくインドを支配していたムガル帝国は、第6代アウラングゼーブ治世後に衰退し、17世紀以降統一を失った。こうした中、イギリスは東インド会社を中心にインド支配に乗り出した。インドをめぐってフランスと対立し、カーナティック戦争(1774~1761)やプラッシーの戦いなどが起こった。

・プラッシーの戦いではイギリス東インド会社軍とフランス・ベンガル太守連合軍が戦ったが、この戦いにイギリスが勝利し、その後フランス勢力はインドから撤退した。

・1765年に、イギリス東インド会社がベンガルの徴税権を獲得し、初代ベンガル知事(1773年以降総督)としてプラッシーの戦いで活躍したクライヴが就任した。

・イギリスはその後もマイソール戦争やマラーター戦争などに勝利し、インドの支配地域を拡大し、ネパールセイロン島も征服した。

・1813年には本国の産業資本家の要求を受け、イギリス東インド会社の貿易独占権が廃止され、1833年には全商業活動が停止された。

・イギリスはシク教徒をシク戦争で破り1849年パンジャーブ地方を併合し、ほぼインド全域を支配下においた。

イギリスによるインド植民地支配

・イギリスは、インドの植民地支配を進めるため、北インドのザミンダーリー制と南インドのライヤットワーリー制という2つの徴税制度を用いた。また、プランテーションが発達し、藍・茶・ジュート・アヘンなどが栽培された。

・こうした中、1857年にシパーヒーの乱というインドの民族的大反乱がおきた。これはインド大反乱とも言われ、1859年まで続き、反乱中の1858年にはムガル皇帝が流刑に処されムガル帝国が滅亡した。1858年には東インド会社が解散し、1877年イギリスのヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ね、インド帝国(1877~1947)が成立した。

東南アジアの植民地化

・東南アジアでは、オランダ領東インドというオランダがジャワ島を中心に形成した植民地があった。1623年には、モルッカ諸島のアンボイナ島でオランダがイギリス商館員を虐殺したアンボイナ事件がおこり、これ以降オランダのモルッカ諸島支配が確立し、イギリスはインド支配に専念した。

・オランダ本国では一時的にバタヴィア共和国などが成立したが、その後ナポレオンに征服された。1824年にはイギリス=オランダ協定が結ばれ、イギリスは東のマラッカ・シンガポールを、オランダは西のスマトラを勢力圏とした。オランダは、ジャワ島東部のマタラム王国やスマトラ北西部のアチェ王国を攻撃し、勢力圏を広げ、オランダ領東インド総督ファン=デン=ボスが1830年に強制栽培制度を実施し、ジャワ島の飢饉を招いた。

・ビルマではイギリスが征服活動を行い、最後のコンバウン(アラウンパヤー)朝を滅ぼし、1886年インド帝国に併合した。

・マレー半島中部西岸のペナンは、1786年イギリス領となる。南端のシンガポールは、イギリスの植民地行政官ラッフルズが重要性を見抜き、ジョホール王から買収した。1824年にイギリス領となり、イギリスの東南アジア地域の最大拠点となった。また、南西岸のマラッカは1824年にイギリス領となった。ペナン・シンガポール・マラッカは海峡植民地と呼ばれ、1867年にイギリス本国の直轄地となった。

・1895年にはマレー半島4州がマレー連合州としてイギリスの保護領となり、これら地域には印僑華僑などが移住した。1888年には北ボルネオ領有が決められイギリスは北部を獲得した。

・スペインは16世紀以降新大陸産のメキシコ銀を対中国貿易で使用し、仲介地としてマニラを開港した。

・ベトナムでは、西山(タイソン)党の乱が起き、西山朝が建てられた。1802年には阮福暎が西山朝を滅ぼし、嘉隆帝として即位し、阮朝を開いた。この際、フランス人宣教師ピニョーが活躍した。国号は越南国となった。

・1858年からは、宣教師殺害を口実としたナポレオン3世が仏越戦争を始め、サイゴン条約が結ばれた。また、1863年にはカンボジアを保護国化した。1883年にはゆえ条約によりベトナムの保護国化が決まった。1884年にはベトナムの保護国化をねらったフランスと、宗主国清の間に清仏戦争がおこり、1885年に清が敗北し天津条約が結ばれた。1887年から1945年にかけて、コーチシナ・アンナン・トンキン・カンボジアでフランス領インドシナ連邦が成立した。

・タイは1782年以降現在でも続くラタナコーシン(チャクリ)朝が続き、独立を維持した。1851年に即位したラーマ4世は、タイの近代化を進めた。次のラーマ5世(チュラロンコン)は強いリーダーシップを発揮し、先王の近代化政策を更に推し進めた。
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・南・東南アジアの植民地化(インド帝国、オランダ領東インドなど) 受験対策問題 81

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『世界史B 用語集』 山川出版社
『世界史B 教科書』 山川出版社

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