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18_80 ヨーロッパ世界の形成と変動 / 東ヨーロッパ世界の成立

ビザンツ帝国史 2 ~聖像禁止令、十字軍、オスマントルコによるコンスタンティノープル陥落~

著者名: エンリケ航海王子
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外敵との攻勢と領土拡張

その後9世紀に入ると、バシレイオス1世(867~886)が開いたマケドニア朝の時代になります。
この時代、ビザンツの軍隊は強力になり、イスラム勢力から南イタリアの一部を獲得し、北方のブルガリア帝国を滅ぼし、ビザンツ帝国の領土は急激に拡張します。

征服地はテマ制によって統治され、一時平和な時代を迎えました。

ところが、周辺地域で、次第に大土地所有者が現れ、土地を失った自由農民が増加してしまいます。古代ギリシアの時と同じように、自由農民の没落は国内の混乱を招いてしまいます。

内部では、貴族と宮廷の内紛、セルビアやブルガリアなどの反乱に苦しめられる一方で、セルジューク朝が小アジアに進出、南イタリアにもノルマン人が侵入し、ビザンツ帝国は内と外から衰退しはじめます。

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(ビザンツ帝国の版図の変遷)

衰退のはじまり

このような状況の中、ビザンツ帝国の衰退が加速します。
コムネノス朝を開いたアレクシオス1世(位1081~1118)は、11世紀末に宮廷の内紛の末、帝位につきました。

彼は、国内の混乱を抑えるために、貴族たちに軍事奉仕を条件に公有地の管理を任せるというプロノイア制を導入し、一時国内は平穏を取り戻しました。

プロノイア制は、西ヨーロッパの封建制度に似ていましたが、初めは一代限りだった土地の管理が、次第に世襲が認められるようになったため、結果的に帝国の分裂を促すことになりました。


一方、セルジューク朝の侵攻に頭を悩ませたアレクシオスは、対立が続いていた西ローマ教会に救援を求めます。

この救援要請が、のちの十字軍遠征のきっかけになりました。

十字軍は一時期聖地を奪還することに成功しますが、第4回十字軍ではヴェネツィア商人の進言によりコンスタンティノープルが略奪後占領され、一時ビザンツ帝国が失われます。この時第4回十字軍がコンスタンティノープルを都として創ったのがラテン帝国です。
この時、ビザンツ帝国とヴェネツィアは東方貿易の商圏を争っていました。第4回十字軍はそのような背景からヴェネツィアの意をくみ、コンスタンティノープルを攻めたのです。


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(『コンスタンティノープルの陥落』 ドラクロワ作)

ビザンツ帝国の残存勢力はニケーア帝国をおこし、1261年にジェノヴァの支援を受けコンスタンティノープルを奪還し、ビザンツ帝国の再興を果たしました。
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『教科書 世界史B』 山川出版社
『詳説世界史研究』  山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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