更級日記
尾張
尾張の国、鳴海の浦をすぐるに、夕潮ただみちにみちて、今宵やどらむも中間に、潮みちきなば、ここをもすぎじと、あるかぎり、走りまどひすぎぬ。
美濃
美濃の国になる境に、墨俣(すのまた)といふわたりして、のがみといふ所につきぬ。そこに遊女(あそび)どもいできて、夜ひとよ、歌うたふにも、足柄なりし思ひ出でられて、あはれに恋しきことかぎりなし。
近江
雪ふり、あれまどふに、ものの興もなくて、不破の関、あつみの山などこえて、近江国、おきながといふ人の家にやどりて、四五日あり。
みつかさの山の麓に、夜昼、時雨(しぐれ)あられふりみだれて、日の光もさやかならず、いみじう物むつかし。
そこをたちて、犬上、神崎、野州、栗太などいふ所々、なにとなくすぎぬ。湖のおもて、はるばるとして、なで島、竹生島(ちくぶしま)などいふ所の見えたる、いとおもしろし。勢多の橋、みなくづれて、わたりわづらふ。
京の都
粟津にとどまりて、師走の二日、京に入る。
暗くいきつくべくと、申(さる)の時ばかりに立ちてゆけば、関ちかくなりて、山づらに、かりそめなるきりかけといふものしたる上より、丈六の仏の、いまだ荒づくりにおはするが、顔ばかり見やられたり。あはれに、人はなれて、いづこともなくておはする仏かなと、うち見やりて過ぎぬ。
ここらの国々を過ぎぬるに、駿河の清見が関と、逢坂の関とばかりはなかりけり。いと暗くなりて、三条の宮の西なる所につきぬ。
ひろびろとあれたる所の、過ぎ来つる山々にもおとらず、大きにおそろしげなるみやま木どものやうにて、都のうちとも見えぬ所のさまなり。ありもつかず、いみじうものさわがしけれども、いつしかと思ひしことなれば、
「物語もとめて見せよ、物語もとめて見せよ」
と、母をせむれば、三条の宮に、親族なる人の、衛門の命婦とてさぶらひける、たづねて、文やりたれば、めづらしがりてよろこびて、御前のをおろしたるとて、わざとめでたき冊子ども、硯の箱のふたにいれておこせたり。うれしくいみじくて、夜昼、これを見るよりうちはじめ、またまたも見まほしきに、ありもつかぬ都のほとりに、誰かは物語もとめ、見する人のあらむ。