古代朝鮮と倭国で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
古代の朝鮮半島
・古代の朝鮮半島や中国北東地方には、
貊(はく)族と言われる人々が居住していた。彼らは、狩猟や牧畜を糧に生活し、のちに
夫余や
高句麗といった国を建国した。
・紀元前
1世紀、貊族の一部族が中国東北地方に
夫余(扶余)(紀元前1世紀~494)を建国した。
夫余は、中国文化から多大な影響を受け発展し、3世紀まで繁栄を続けたが、最後は
鮮卑や
高句麗の攻撃を受け、
494年に
高句麗に滅ぼされた。
・夫余が建国された同時期、
貊族の別部族が
中国東北地方南部の
鴨緑江流域に
高句麗(紀元前1世紀~668)を建国した。
・前
108年、
前漢の
武帝が
衛氏朝鮮を滅ぼし、
楽浪・真番・臨屯・玄菟という
朝鮮4郡を設置した。
楽浪郡は漢の朝鮮支配の拠点となり、その後魏・晋にも受け継がれた。楽浪郡は[red後漢末]に中国系の
公孫氏により南部に
帯方郡が設置され、
韓や
倭と通交した。
・朝鮮半島南部には、
韓族と言われる人々が居住していた。彼らは、西南部の
馬韓、南東部の
辰韓、そのあいだの
弁韓に分かれており、これを
三韓という。はじめ、
楽浪郡や
帯方郡に朝貢していたが、時代を経て、馬韓は
百済、辰韓は
新羅に統一され、弁韓は
任那(加羅)という小国家連合となった。任那は、その後
新羅に滅ぼされる。
朝鮮の三国時代
・
丸都城を都とした
高句麗は次第に発展し、
313年に
楽浪郡と
帯方郡を滅ぼした。4世紀から7世紀にかけて、朝鮮では
高句麗・新羅・百済が覇権を争う
三国時代がはじまった。
高句麗(前1世紀~668) | 貊族が建国。313年楽浪・帯方郡を滅ぼし、5世紀に丸都城から平壌に遷都。668年、唐・新羅連合軍に滅ぼされる。 |
新羅(4世紀半ば~935) | 辰韓が統一し建国。都は慶州。百済・高句麗を滅ぼした後、唐を駆逐し、朝鮮を支配した。のちに高麗に滅ぼされる。 |
百済(4世紀半ば~660) | 馬韓が統一し建国。都は漢城。日本の支援をうけ、中国の南朝に朝貢したが、660年唐・新羅連合軍に滅ぼされる。663年百済復興のため日本の援軍を受け白村江の戦いが行われたが、完敗した。 |
・高句麗は第
19代
広開土王(好太王)(在位391~412)が朝鮮南部の百済・新羅を圧迫し、朝鮮半島に進出しようとした
倭を破った。子の長寿王がこの功績を讃たたえ、
丸都城に
広開土王碑を建立した。
邪馬台国と大和政権
・
3世紀の日本には、
邪馬台国という国家が存在した。女王
卑弥呼が統治し、
魏に朝貢したとされる。中国の歴史書『
三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称を『
魏志倭人伝』といい、この中に邪馬台国の記述がある。
・朝貢した卑弥呼に対し、魏王は
親魏倭王という称号を与えた。その後
4世紀から
7世紀にかけて、大和を中心とした古代王朝
大和政権が生まれ、中国や朝鮮半島と通交した。
・
5世紀には、中国南朝と交渉をもった
倭の五王(讃・珍・済・興・武)がいたとされ、中国南朝の史書『
宋書』に記述がある。