オリエントってなに?
これから古代オリエント世界の歴史を見ていきますが、そもそもオリエントとはどういう意味でしょう?
これは、ずっと後の時代に、古代ローマ人が、ラテン語で自分たちの住むイタリア半島から見て東方の地域を指した「日の昇るところ」という意味の言葉です。
場所で言えば、
エジプト、
メソポタミア、
地中海の東岸、
アナトリア(現在のトルコ)、
イランといった地域です。
メソポタミア文明
古代オリエントで最初に興った文明が、
メソポタミア文明です。
現在のイラクに当たる地域には、
ティグリス川と
ユーフラテス川という2つの大河があり、非常に豊かな土壌が広がっていました。メソポタミアはギリシア語で「
川の間の地域」という意味です。
(緑色の地域がメソポタミア)
このメソポタミアからシリアやパレスチナなどの地中海東岸の地域を「肥沃な三角地帯」といいます。アメリカの考古学者ブレステッドが名づけました。
土地が豊かだと、農作物がたくさん収穫できるので、人々が集まり定住していきますね。
ここには文明がおこり、その後もさまざまな王国が支配をめぐって争います。
シュメール人の登場
メソポタミアで世界最古の文明を作ったのが、
シュメール人です。
シュメール人は、ティグリス・ユーフラテス川流域の豊かな土地で
灌漑農業を始め、紀元前3500年ころから、多くの
大村落ができました。
大村落には神殿が作られ、
神権政治が行われていて、
銅や
青銅器、
文字が発明されます。シュメール人が作った文字を
楔形文字といいます。
(楔形文字)
神権政治とは、神官などが神の代理人として神の権威を利用して行った政治のことです。楔形文字は、粘土板に葦の茎や金属の先端で押し付けるようにして書かれた文字です。くさびの形をしており、神官や書記に用いられ、歴史書や法律がこの文字を使って書かれました。
紀元前3000年ころになると、農業でたくさん野菜や果物が収穫できるようになったので、農業に従事しない
神官、
商人、
職人、
戦士など農民以外の職業がうまれてきました。
こうして時代とともに大村落は
都市国家(ウル)に変化し、
ウル、
ウルク、
ラガシュといった都市国家が次々に作られます。
この都市国家の間に、だんだん政治的なつながりが出来てきます。これを
ウル第一王朝といいます。
ウル第一王朝の時代、各地の都市国家にはジッグラトという巨大な神殿が建てられ、城壁に囲まれた都市文化が繁栄していきます。
(ジッグラト)
アッカド王国によるメソポタミア統一
ウル第一王朝は次第に衰退していき、代わりに
アッカド人という民族が作った
アッカド王国が勢力を増していきます。
アッカド人の民族系統はセム語族(セム系)です。民族系統はよく聞かれるのですが、古代オリエントではヒッタイト、リディア、アケメネス朝ペルシアがインド=ヨーロッパ語族(印欧語族)で、残りはセム語族です。覚えておきましょう!
紀元前24世紀ころ、アッカド王国の
サルゴン1世という王様が、メソポタミア初の統一を果たしました。
このアッカド王国のメソポタミア統一も長くは続かず、その後シュメール人が再び作った
ウル第3王朝(紀元前2113頃~紀元前2006頃)では世界最古の
ウルナンム法典が作られるなど文化的に発展しましたが、最後はエラム人によって滅亡します。
バビロン第1王朝(古バビロニア王国)
ウル第3王朝の滅亡後、
セム系の遊牧民
アムル(アモリ)人がメソポタミアの侵入して、ユーフラテス川中流域に
バビロンという都市を作り、
バビロン第1王朝(紀元前1894頃~1595頃)を建国します。
バビロンを都にした王朝は10ほどあるのですが、バビロン第1王朝を古バビロニア王国、バビロン第10王朝を新バビロニア王国といいます。
紀元前18世紀になると、第6代のハンムラビ王が即位し、全メソポタミアを統一後、さまざまな功績を残します。
ハンムラビ王は、運河の工事や灌漑設備を整えるなど、国内政策を進める一方で、
ハンムラビ法典を作ります。
(ハンムラビ法典:上部左がハンムラビ王、右が太陽神シャマシュ)
ハンムラビ法典は、シュメール人の作った法律を継承して、新たに282条の成文法にしたものです。
ハンムラビ法典の特徴は、「目には目を、歯には歯を」という復讐法と、身分によって判決が異なる身分法でした。
ヒッタイト・カッシート・ミタンニの活動
繁栄を誇った古バビロニア王国でしたが、次第に
インド=ヨーロッパ語族の侵入によって衰えていきます。
インド=ヨーロッパ語族の代表例が
ヒッタイトです。
ヒッタイトは、紀元前18世紀頃に、小アジア(アナトリア地方)に
ハットゥシャ(現在のボアズキョイ)を都にした王国を作ります。
彼らは、
馬と
戦車、
鉄製武器を初めて使用し、強力な軍事力をもって、紀元前16世紀に古バビロニア王国を滅亡させます。
新王国時代のエジプトと
カデシュの戦いなどをくり広げ、最盛期を迎えますが、その後紀元前12世紀に「海の民」によって衰退し、紀元前8世紀アッシリアによって滅ぼされます。
ヒッタイトの衰退後、彼らの持っていた製鉄技術が各地にひろまり、新しい技術として使われ始めます。
ヒッタイト以外では、
カッシート人がメソポタミアに侵入し、紀元前16世紀から紀元前12世紀にかけて
カッシート王国としてメソポタミア南部を支配しました。カッシートは、同時代のエジプトやミタンニ、ヒッタイトと抗争し、最終的に紀元前12世紀にエラム人により滅ぼされます。
ミタンニ人は紀元前17世紀から紀元前14世紀にかけてメソポタミア北部からシリアにかけて
ミタンニ王国を作ります。ミタンニはエジプトやヒッタイトと抗争し、紀元前14世紀にヒッタイトに敗れた後衰退し、最終的にアッシリアによって併合されます。
メソポタミアの文化
メソポタミアは豊かな土地だったので、前述のようにさまざまな国が覇権を争いました。それと同時に、この時代にメソポタミア文化がうまれてきました。
メソポタミア文化の代表例を表にしてみます。
名称 | 説明 |
楔形文字 | シュメール人の発明。粘土板に葦などを押し付け楔の形をした文字。アケメネス朝滅亡までオリエント各地で使用された。 |
多神教 | さまざまな神を信仰する宗教。対義は一神教。 |
ジッグラト | 聖塔。『旧約聖書』のバベルの塔のモデル。 |
『ギルガメッシュ叙事詩』 | ウルクの王ギルガメッシュの物語。『旧約聖書』のノアの洪水伝説のもととなる。 |
印章 | 契約の時に使用した楔形文字を刻んだハンコのこと。 |
六十進法 | シュメール人の発明。円周分割から作られ、角度や時間の単位となる。 |
太陰暦 | 月の満ち欠けを基準にする暦。現在ではイスラム圏でのみ利用されている。 |
太陽太陰暦 | 太陰暦と太陽暦を併用して作られた暦。 |
1週7日制 | シュメール人の発明。バビロニアで確立した。 |
占星術 | 星の運行を元にした占い。のちの天文学につながる。 |
このように、メソポタミアでは、後世の歴史や人々の生活に大きな影響を及ぼすさまざまな文化が成立しました。