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18_80 ヨーロッパ・アメリカの変革と国民形成 / ウィーン体制

ウィーン体制③ ~中南米諸国・ギリシアの独立とウィーン体制のほころび~

著者名: エンリケ航海王子
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ラテン=アメリカ独立の経過

1804年、ラテン=アメリカで最初に独立を果たしたのが、カリブ海に浮かぶ島国ハイチでした。

フランス革命に共鳴して1791年から独立運動を開始したハイチでは、「黒いジャコバン」の異名をもつトゥサン=ルーヴェルチュールを指導者としてナポレオン軍を撃退し、独立を達成します。

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(トゥサン=ルーヴェルチュール)

ラテンアメリカでは、その後も以下のように各国が独立していきます。

1811年ベネズエラ
1822年ブラジル
1816年アルゼンチン
1818年チリ
1819年コロンビア
1821年ペルー
1821年メキシコ
1825年ボリビア


この独立運動には、ミゲル=イダルゴシモン=ボリバルサン=マルティンという三人のクリオーリョが指導者となり、ミゲル=イダルゴはメキシコ、シモン=ボリバルは、ベネズエラ・コロンビアなどを、サン=マルティンはアルゼンチン・チリ・ペルーの独立を指導しました。

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(シモン=ボリバル)

独立後、ラテン=アメリカ諸国はヨーロッパの報復を恐れ、中央アメリカ共和国組織グラン=コロンビアという協力関係を築き、これに対抗します。

このラテン=アメリカの独立成功の背景には、イギリスとアメリカによる支援が大きな影響を与えました。

この2つの国は、どういった思惑により独立を支持したのでしょう。

イギリスのカニング外交

イギリスは、それまで五国同盟の一員として、ウィーン体制を支える立場でしたが、ここにきて外交方針を転換しました。

イギリスは、ラテン=アメリカを独立させ、スペインやポルトガル、フランスの支配を排除した後、自国の商品を売るための広大な市場を確保しようとしたんです。

この自由主義外交を、当時の外相の名前をとって、カニング外交といいます。

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(イギリス外相カニング)

アメリカのモンロー宣言

アメリカ合衆国第5代モンローは、ロシアの太平洋岸への南下政策と、メッテルニヒを中心とするウィーン体制諸国がアメリカ大陸に干渉し続けることに危機感を覚えました。

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(第5代アメリカ大統領モンロー)

そこでアメリカは、ヨーロッパの干渉を排除し、自らのラテン=アメリカへの影響力を保持するため、独立を支援し、1823年モンロー宣言(教書)を発表します。

モンロー宣言はヨーロッパ諸国とアメリカ大陸諸国の相互不干渉を主張したもので、ラテン=アメリカの独立に多大な影響を与えました。
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