十訓抄『祭主三位輔親の侍』
このテキストでは、
十訓抄の一節「
祭主三位輔親の侍」(
七条の南、室町の東一町は、祭主三位輔親が家なり〜)の原文、現代語訳・口語訳とその解説を記しています。
※
十訓抄は鎌倉中期の説話集です。編者は未詳です。
原文
七条の南、室町の東一町は、祭主三位輔親(さいしゅさんみすけちか)が家なり。丹後の天の橋立を
まねびて、池の中嶋をはるかにさし出して、小松をながく植えなどしたりけり。寝殿の南の廂(ひさし)をば、月の光入れむとて、ささざりけり。
春のはじめ、軒近き梅が枝に、鴬のさだまりて、
巳の時ばかり来て鳴きけるを、
ありがたく思ひて、それを愛するほかのことなかりけり。時の歌よみどもに、
「かかることこそ侍れ」
と告げ
めぐらして、
「明日の辰の時ばかりに渡りて、聞かせ給へ」
と、ふれまはして、伊勢武者の
宿直してありけるに、
「かかることのあるぞ。人々渡りて、聞かむずるに、あなかしこ、鴬うちなんどして、やるな」
といひければ、この男、
「なじかは遣はし候はむ」
といふ。輔親、
「とく夜の明けよかし」
と待ち明かして、いつしか起きて、寝殿の南面をとりしつらひて、営みえたり。
辰の時ばかりに、時の歌よみども集まり来て、いまや鴬鳴くと、
うめき すめきしあひたるに、
さきざきは巳の時ばかり、必ず鳴くが、
午の刻の下がりまで見えねば、
「いかならむ」
と思ひて、この男を呼びて、
「いかに、鴬のまだ見えぬは。今朝はいまだ来ざりつるか」と問へば、
「鴬のやつは、さきざきよりもとく参りてはべりつるを、帰りげに候ひつるあひだ、召しとどめて」といふ。
「召しとどむとは、いかん」と問へば、
「取りて参らむ」とて立ちぬ。
「心も得ぬことかな」
と思ふほどに、木の枝に鴬を結ひつけて、持て来たれり。おほかたあさましともいふはかりなし。
「こは、いかにかくはしたるぞ」と問へば、
「昨日の仰せに、鴬やるなと候ひしかば、いふかひなく逃し候ひなば、弓箭(ゆみや)とる身に心憂くて、神頭をはげて、射落として侍り」
と申しければ、輔親も居集まれる人々も、
あさましと思ひて、この男の顔を見れば、脇かいとりて、いきまへ、ひざまづきたり。祭主、
「とく立ちね」
といひけり。人々をかしかりけれども、この男の気色におそれて、
え笑はず。独り立ち、二人立ちて、みな帰りにけり。興さむるなどは、こともおろかなり。
現代語訳
七条の南にある室町の東一町は、祭主三位輔親である。輔親は、丹後の天の橋立をまねて、庭にある池の中の島を遠くまで差し出して、小松を長く植えたりしていた。寝殿の南の廂は、月の光を呼び込もうとして下ろさずにいた。
春の季節のはじめに、軒の近くの梅の枝に、鶯が決まって午前10時ごろにやって来ては鳴いていたのをめずらしく思って、それを喜んで他のことには目もくれずにいた。そして当時の歌詠みの人たちに、
「このようなことがあるんですよ」
と告げてまわって、
「明日の午前6時ごろにいらっしゃって、お聞きください」
とふれまわった。ところで、伊勢出身の武士が宿直をしていたので、(この男に)
「明日はこのようなことがある。お客さんがいらっしゃって(鶯の鳴く声を)聞くだろうから、決して鶯を追いやって行かせるな」
と、輔親は告げた。この男は
「どうして行かせましょうか、いや行かせません」
と答えた。輔親は、
「早く夜が明けないか」
と夜を待ち明かして、早く目を覚まして、寝殿の南側の部屋をきれいにして、準備をした。
午前8時頃になって、歌詠みたちが集まってきて、今にも鶯が鳴くかと苦心して歌を詠みあっていたのだが、以前は午前10時ごろになったら必ず鳴いていた鶯が、正午を過ぎても現れないので、
「どうしたことだろうか」
と輔親は思い、この(宿直をしていた)男を呼んで
「どうしたことだろうか。鶯はまだ現れない。今朝はまだ来ていないのか」と質問したところ
この男は、「鶯のやつは、以前よりも早く参上しましたのですが、帰ってしまいそうでしたので、召しとどめてあります」(と言う。)
「召しとどめているとはどういうことだ」(と聞くと)
(男は、)「取って参ります」(と言って、立ち上がった。)
(輔親が)「わけがわからない」
と思っていると、(男が)木の枝に鶯の死骸を結びつけたものを持ってきた。驚き呆れたというものではない。
「これはどうしたのか」(と聞くと男は、)
「昨日の仰せでは、鶯を行かせるなとのことでしたので、ふがいなく逃してしまったら、弓矢をとる者としては情けないですので、神頭を弓にあてて、射落としたのです」
と申した。輔親もそこに集っていた人々も驚き呆れた話だと思い、この男の顔を見ると、弓を脇に挟んで、息を荒くひざまずいている。祭主は、
「早く立ち去れ」(と言った。)
人々は面白おかしく思ったのだが、この男の顔つきに恐れて、笑うことができなかった。一人、二人と立ち上がってみな帰ってしまった。興ざめであったことは、どんな言葉でも言い表すことができない。
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