1614年に、大坂の陣の直接の原因となった
方広寺鐘銘事件が起こります。
天下をほぼ手中に収めた徳川家でしたが、豊臣家の存在はどうしても邪魔なものでした。そこでまずは豊臣家の財力を減らしていこうと、家康は豊臣秀頼に多くの寺社の再建を提案します。再建する神社の1つが、方広寺というお寺でした。
再建が終わった後に、とある事件が発生します。鐘に書かれている文中に「
国家安康」「
君臣豊楽」とあったものを、「国家安康」は家康を分断し、「君臣豊楽」は豊臣家の繁栄を願い、徳川家が没落するように呪いが込められていると家康側がいいがかりをつけたのです。
こうして戦の口実を作った家康は、豊臣家を滅ぼすべく大阪冬の陣、夏の陣と呼ばれる戦をしかけていくことになるのです。