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18_80 ヨーロッパ世界の形成と変動 / 西ヨーロッパ世界の成立

中世ヨーロッパの歴史 1 ゲルマン民族の大移動の理由 ゴート・ヴァンダル・ブルグンド・フランクの盛衰

著者名: ピアソラ
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ヨーロッパとは?


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これからヨーロッパの成立と歴史についてみていきますが、そもそもヨーロッパとはどの地域を指すのでしょう。

ヨーロッパとは、ユーラシア大陸のウラル山脈より西の地域のことです。アルプス以北の西ヨーロッパ、地中海に面した地中海地方、それ以外の東ヨーロッパに分けられます。

ヨーロッパの民族はインド=ヨーロッパ語族の人々で、西ヨーロッパのゲルマン系、地中海地方のラテン系、東ヨーロッパのスラヴ系などでした。

ゲルマン人の歴史

ヨーロッパの礎を築いた民族がゲルマン人です。

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(ゲルマン人)

インド=ヨーロッパ語族に属する彼らは、紀元前1000年頃から、スカンジナビア半島(現在のスウェーデン・ノルウェー・フィンランド)、ユトランド半島(現在のデンマーク)、ドイツ北部に住んでいました。

ゲルマン人たちは、大陸側に住んでいた先住民のケルト人を圧迫しながら南下し、紀元前1世紀以降にはローマと接する程にまで居住範囲を広げます。

古代ゲルマン社会は、放牧と狩猟を中心に、50くらいの部族にわかれていました。国という形態をとっていなかったものの、最高意思決定機関の民会がおかれ、政治・軍事・裁判に関わる決定がなされていました。

古代ゲルマンやケルトの歴史について書かれた重要な資料が、カエサルの『ガリア戦記』やタキトゥスの『ゲルマニア』です。


ゲルマン人はその後先住民ケルト人を同化させ、彼らの多くは、下級役人や傭兵、コロヌスとして次第にローマ帝国内部に入り込んでいきます。

ゲルマン民族の大移動

375年から、ゲルマン民族はヨーロッパ各地に大移動をはじめます。

この時期にゲルマン民族の大移動がおこった理由は次の2つです。

●人口が増加し、農作物を生産する耕作地が不足した。
●東方から遊牧民フン族が侵略してきた。

フン族は、アジア系の騎馬民族で、一説によると中国に侵入した匈奴の一派であると言われています。

慢性的な土地不足と、フン族がゲルマン民族の一派である東ゴート族を征服したことで、375年以降フン族から逃れるために西ゴート族が南下したことがゲルマン民族の大移動のきっかけです。

ゲルマン民族は、様々な部族にわかれ、ヨーロッパ各地にそれぞれ王国を作りました。

国名地域時期滅亡
西ゴートイベリア半島418~711ウマイヤ朝の征服
ヴァンダル北アフリカ429~534ビザンツ帝国の征服
ブルグンドガリア中部443~534フランク王国の征服
東ゴートイタリア半島493~555ビザンツ帝国の征服
ランゴバルドイタリア北部568~774フランク王国の征服
アングロ=サクソンブリタニア449~829エグバートの統一
フランクガリア北部481~843(のち分裂)イタリア・フランス・ドイツとなる


西ゴート

西ゴートは、ゲルマン民族大移動のきっかけになった民族です。375年に移動を開始し、378年にアドリアノープルの戦いでローマ軍を撃破、その後イタリアを経て5世紀に南フランスで建国し、6世紀にイベリア半島に拠点を移します。

西ゴートは、最終的にウマイヤ朝に滅ぼされ、以後レコンキスタ完了後まで、イスラム王朝がイベリア半島を支配します。

ヴァンダル

ヴァンダルは、アフリカの北岸に建国し、一時地中海を制圧しました。
しかし、先住民の反乱で弱体化し、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)に滅ぼされます。

ブルグンド

ブルグンドは現在のスイスからフランスにかけて建国します。
のちに同じゲルマン系のフランク王国に滅ぼされます。
フランスのブルゴーニュ地方の名前の由来です。

東ゴート

最初にフン族の侵入によって大打撃を受けた部族です。
英雄テオドリックによりフン族の支配から抜け出し、西ローマ帝国を滅亡させたオドアケルの王国を倒し、イタリアに建国します。

ラヴェンナを中心に栄えますが、最終的にビザンツ帝国(東ローマ帝国)に滅ぼされます。

ランゴバルド

ゲルマン民族の中で、一番最後に移動をはじめた部族です。
イタリアに建国しますが、ローマ教皇と組んだフランク王国のカール大帝により滅ぼされます。
北イタリアのロンバルディア地方の名前の由来です。

アングロ=サクソン

5世紀前半に海を渡り、大ブリテン島に侵入した部族です。
先住民ケルト族を征服し、ブリタニア(イギリス)を建国しました。

フランク

6世紀はじめに、クローヴィスという始祖がガリア(現在のフランス)に建国しました。
のちに、中世ヨーロッパの中核を築いていきます。

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(526年頃のヨーロッパ)

フン族は、ドナウ川中流のパンノニア(現在のハンガリー)に王国を作り、アッティラという大王のもと、征服活動を拡大しますが、451年西ローマ帝国・西ゴート・ブルグンド・フランク連合軍にカタラウヌムの戦いで破れ、その後イタリアのローマ教皇レオ1世に説得され撤退し、フン族の王国は滅亡します。

また、この混乱の中、476年西ローマ帝国もゲルマン人傭兵隊長のオドアケルによって滅ぼされ、ヨーロッパでは不安定な時代が続きます。

こうした中、聖像を用いてゲルマン人へアタナシウス派キリスト教の布教活動を行なっていたのがローマ教会でした。特に、教皇グレゴリウス1世は、布教とともに、西ヨーロッパ地域の安定を目指します。

ビザンツ帝国の最盛期

476年に西ローマ帝国が滅亡したあとも、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は健在でした。

ビザンツ帝国の最盛期の皇帝がユスティニアヌス1世で、その治世にヴァンダル族、東ゴート族を滅亡させ、領土を拡大します。

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(ユスティニアヌス1世)

この時代、東ローマ帝国はハギア=ソフィア聖堂の建立や、トリボニアヌスによる『ローマ法大全』の編纂など、文化的にも栄えます。

西ヨーロッパが大混乱に陥っていたとき、ビザンツ帝国は最盛期だったことを押さえておきましょう。
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『詳説世界史研究』 山川出版社
『世界史図録ヒストリカ』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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