源氏物語 桐壺 その9 靫負命婦の弔問2【源氏物語 原文】
南面に下ろして、母君も、とみにえものものたまはず。
「今までとまりはべるがいと憂きを、かかる御使の蓬生の露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなむ」とて、げにえ堪ふまじく泣いたまふ。
「『参りては、いとど心苦しう、心肝も尽くるやうになむ』と、典侍の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ。
「『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひ静まるにしも、覚むべき方なく堪へがたきは、いかにすべきわざにかとも、問ひあはすべき人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若宮のいとおぼつかなく、露けき中に過ぐしたまふも、心苦しう思さるるを、とく参りたまへ』など、はかばかしうものたまはせやらず、むせかへらせたまひつつ、かつは人も心弱く見たてまつるらむと、思しつつまぬにしもあらぬ御気色の心苦しさに、承り果てぬやうにてなむ、まかではべりぬる」とて、御文奉る。
「目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」とて、見たまふ。
「ほど経ばすこしうち紛るることもやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきはわりなきわざになむ。いはけなき人をいかにと思ひやりつつ、もろともに育まぬおぼつかなさを。今は、なほ昔のかたみになずらへて、ものしたまへ」など、こまやかに書かせたまへり。
「宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」
とあれど、え見たまひ果てず。
「命長さの、いとつらう思うたまへ知らるるに、松の思はむことだに、恥づかしう思うたまへはべれば、百敷に行きかひはべらむことは、ましていと憚り多くなむ。かしこき仰せ言をたびたび承りながら、みづからはえなむ思ひたまへたつまじき。
若宮は、いかに思ほし知るにか、参りたまはむことをのみなむ思し急ぐめれば、ことわりに悲しう見たてまつりはべるなど、うちうちに思うたまふるさまを奏したまへ。ゆゆしき身にはべれば、かくておはしますも、忌ま忌ましうかたじけなくなむ」とのたまふ。
宮は大殿籠もりにけり。
【現代語訳】
北の方は、南に面した座敷に命婦を招きいれましたが、言葉が出ないほど悲しみに暮れていました。
「生きているだけでも辛いのに、このような勅使が草深い露をかき分けておいでくださるなんて、恥ずかしくてなりません」と言って、本当にこらえきれない様子で泣いています。
命婦は、「こちらへ訪ねてみると、またいっそう気の毒になりまして魂も消えるようですと典侍が帝に申し上げていましたが、私のような人間でも本当に悲しさが身にしみます」と言ってから、帝のメッセージを伝えました。
『夢ではないだろうかとばかり考えていましたが、ようやく落ち着くとともに、どうしようもない悲しみを感じるようになりました。こんな時はどうすればよいのか、せめて話し合う人があればいいのですがそれもありません。目立たないようにして時々御所へいらっしゃってはどうですか。私も若宮に長く会えないでいて気がかりでならないし、また若宮も、悲しみにくれている方々の側ばかりにいてかわいそうですから、彼を早く宮中へ入れることにして、あなたもいっしょにいらっしゃってください。』
「帝はこのようにはっきりとおっしゃられないほど涙されてはいましたが、人に弱さを見せてはならないと強がっている様子がお気の毒で、最後まで見てはいられずにこちらへ参りました。」と言って命婦は帝の手紙を渡しました。
「涙で目も見えませんが、このような畏れ多いお言葉を光としまして」といって北の方は手紙に目を向けました。
手紙には
『時がたてば少しは寂しさも紛れるのではないかと思い日々を送っていても、日がたてばたつほど悲しみが深くなっています。若宮がどうしているかと案じながら、あなたと一緒に育ててやれないことが気がかりです。私を(更衣の)形見と思って参内ください。』などと細かく書いてありました。
『秋風の音を聞くたびに、若宮のことが偲ばれます』
という歌もありましたが、北の方は最後まで読むことができません。
「『長生きをするからこうした悲しい目にもあうのだと、それが私をきまり悪くさせるのです。ましてや御所へ時々参内するなどは思いもよらないことです。もったいないお言葉を頂いているのですが、私は参内しようとはとても思えません。若宮はどこまで理解しているのかわかりませんが、御所へ早く入りたい素振りを見せます。私はごもっともだとかわいそうに思っています。』
このようなことを密かに思っている旨を帝にお伝え下さい。夫も娘も亡くしてしまった不幸な私ですので、若宮がこのようにいらっしゃるのも、不吉で畏れ多いことと思っています。」などと北の方は言いました。
若宮はもう眠りについていました。
わかりやすいあらすじ
北の方は、南側の部屋に命婦と呼ばれる女性を招待しました。しかし、彼女は悲しみに暮れて言葉も出せませんでした。
彼女は泣きながら言いました。「生きているだけでつらいのに、このような勅使がわざわざ草むらの露をかき分けてここに来てくださるなんて、恥ずかしくてたまりません。」
命婦は答えました。「私も北の方に会いに来たとき、典侍が帝に話していました。北の方の悲しみはますます深まって、魂まで消えてしまいそうだと。私のような人間でも、本当に悲しい気持ちがわかります。」そうして、命婦は帝のメッセージを伝えました。
帝の手紙にはこう書かれていました。「最初は夢かと思っていましたが、やっと落ち着いてみると、どうしようもない悲しみを感じるようになりました。こんなときどうしたらいいのか、せめて話し合える相手がいればいいのに、そんな人はいません。目立たないように時々宮中に来てはどうでしょう。私は長い間若宮に会えないことが心配でたまりませんし、若宮も悲しみにくれる人々のそばばかりにいてかわいそうです。だから、彼を早く宮中に連れて、あなたも一緒に来てください。」
命婦は言いました。「帝は涙を流しながら、弱さを見せることはできないと頑張っているようですが、私にはその様子がお気の毒に思えて、最後まで見ていられなくてここに来ました。」そして、命婦は手紙を北の方に渡しました。
北の方は手紙を見ながら言いました。「涙で目が見えないけれど、こんな素晴らしい言葉を光として受け取ります。」
手紙には次のように書かれていました。「時間が経てば少しは寂しさも和らぐかもしれませんが、実際は時間が経つほど悲しみが深まっています。若宮がどうしているか心配しながら、あなたと一緒に育てることができないことが気がかりです。私を(更衣の)形見と思って宮中に来てください。」
さらに手紙には「秋風の音を聞くたびに、若宮のことを思い出します」という歌も書かれていましたが、北の方は最後まで読むことができませんでした。
北の方は言いました。「『長生きするからこんな悲しい目に遭うんだ』と思うと、ますます自分が情けなくなります。ましてや宮中に時々行くなんて、考えられません。帝からいただいたありがたい言葉ですが、私は参内しようと思えません。若宮はどれくらい理解しているのかわかりませんが、早く宮中に入ることを望んでいる様子です。私は彼が可哀想だと思っています。」
そして北の方は言いました。「帝にこのような思いを密かに伝えてください。私は夫も娘も失ってしまった不幸な人間ですから、若宮がここにいることも、不吉で畏れ多いことだと思っています。」
若宮はすでに眠っていました。
※あくまでもイメージを掴む参考にしてください。