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古代メソポタミアのジッグラトとは 世界史用語102 |
著作名:
ピアソラ
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古代メソポタミアのジッグラトとは
古代メソポタミアのジッグラトとは、神々への崇拝のために人工的に築かれた山のような建造物です。ジッグラトは一般に、四角形や長方形の台形の基礎の上に、段々と高さを低くしていくように積み重ねられた平台からなり、その頂上には神殿が建てられていました。ジッグラトは紀元前2200年頃から紀元前500年頃までの間、メソポタミア(現在のイラク)の主要な都市に特徴的な建築物として存在していました。
ジッグラトの起源は、紀元前6千年紀のウバイド期にさかのぼることができます。この時期には、神殿を高くするために、土台となる台形の平台が築かれていました。ジッグラトという言葉は、古代アッカド語で「高くする」という意味の動詞「zaqārum」から派生した「ziqqurratum」という名詞に由来しています。ジッグラトは、神々が住むと信じられていた天空に近づくために、神殿を高い位置に置くという考えに基づいていました。
ジッグラトは、乾燥した土地に適した泥レンガで作られた芯と、焼きレンガで覆われた外装からなっていました。各段は、下の段よりも若干小さくなるように設計されていました。外装は、しばしば色とりどりに釉薬がかけられており、天文学的な意味を持っていた可能性があります。王たちは、自分の名前を焼きレンガに刻んでジッグラトに取り付けることもありました。ジッグラトの階層の数は、2から7まで様々でした。
ジッグラトの頂上にある神殿には、一般の人々は立ち入ることができず、神官や高貴な人々だけが入ることができました。神殿には、神々の像や供物が置かれていたと考えられますが、実際にどのようなものがあったかは、考古学的な証拠が乏しいために分かっていません。ジッグラトの頂上に上るためには、一方の側面にある三重の階段や、基底から頂上まで巻きつくらせたらせん階段を使う必要がありましたが、半数近くのジッグラトでは、上り方が不明でした。ジッグラトの傾斜した側面や段々畑は、しばしば木や低木で植栽されており、これがバビロンの空中庭園の由来とも言われています。
ジッグラトは、古代シュメール人、アッカド人、エラム人、エブライ人、バビロニア人など、メソポタミアの様々な民族によって建設されました。現在知られているジッグラトは約25基であり、その半数がシュメール、バビロニア、アッシリアに分布しています。ジッグラトの保存状態は悪く、元の高さの一部しか残っていないものが多いですが、文献や碑文などから、当時の姿や目的について推測することができます。
ジッグラトの中でも、最もよく保存されているのは、ウル(現在のタル・アル・ムカイヤル)にあるウル・ナンム王が紀元前21世紀に建設したものです。このジッグラトは、月の神ナンナ(シン)に捧げられたもので、50メートル四方の基底と、約21メートルの高さを持っています。最も大きなジッグラトは、エラム(現在のイラン南西部)にあるチョガ・ザンビルにあるもので、102メートル四方の基底と、24メートルの高さを持っていますが、これは元の高さの半分以下であると推定されます。非常に古いジッグラトの一つは、イランのカーシャーンにあるテペ・シアルクにあるものです。伝説のバベルの塔は、バビロンにあったマルドゥク神の大神殿のジッグラトと関連付けられています。
ジッグラトは、メソポタミアの宗教と文化において重要な役割を果たしただけでなく、他の地域にも影響を与えました。例えば、エジプトのピラミッドや、アメリカ大陸のマヤやアステカのピラミッドなど、他の文明でも、神々に近づくために高い建造物を築くという考えが見られます。ジッグラトは、人間と神々との関係を表現するとともに、人間の技術と芸術の高度さを示す、古代メソポタミアの象徴的な建築物でした。
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