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アッカド人の起源とメソポタミア統一 世界史用語103
著作名: ピアソラ
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アッカド人とは

アッカド人とは、紀元前3千年紀から紀元前1千年紀にかけてメソポタミアに住んでいたセム語系の民族です。アッカド人は、地中海からペルシャ湾にまで広がるアッカド帝国を建設し、世界史上初の多民族国家を形成しました。アッカド人は、シュメール人とともにメソポタミア文明の発展に大きく貢献し、楔形文字で書かれたアッカド語は古代オリエントの共通語となりました。

アッカド人の起源は、アラビア半島から移住してきたセム語系の遊牧民に求められます。アッカド人は、シュメール人が築いた都市国家に侵入し、徐々にその文化を受容しました。アッカド人の最初の王とされるサルゴンは、紀元前23世紀にアッカドという都市を建設し、シュメール人の都市を征服してメソポタミアを統一しました。サルゴンは、エラム、グティ、アナトリア、レバントなどの周辺地域にも遠征し、アッカド帝国の版図を拡大しました。

サルゴンの後継者たちは、アッカド帝国の繁栄を維持しましたが、紀元前22世紀にはグティ人やアムル人などの外敵の侵入や内乱によって帝国は崩壊しました。その後、アッカド人とシュメール人は共存する形でメソポタミアを支配しましたが、紀元前18世紀にはバビロニアとアッシリアという二つの国家に分かれました。バビロニアは南メソポタミアに、アッシリアは北メソポタミアに位置し、アッカド人の文化的・政治的な伝統を受け継ぎました。

アッカド人の文化は、シュメール人の影響を強く受けましたが、独自の特徴も持っていました。アッカド人は、楔形文字で書かれたアッカド語を使用しました。アッカド語は、古代セム語の中でも最古のもので、ヘブライ語やアラビア語と関係があります。アッカド語は、アッカド帝国の時代にはメソポタミアだけでなく、エジプトやヒッタイトなどの周辺地域にも広まりました。アッカド語は、紀元前1千年紀にはアラム語に取って代わられましたが、その後も学術や宗教の分野で使われ続けました。

アッカド人は、シュメール人と同じくメソポタミアの多神教を信仰しましたが、自分たちの王を神の代理人として崇拝しました。アッカド人の王は、シュメール人の王とは異なり、神の子孫として神格化されました。アッカド人の王は、自らを「四方の王」や「世界の王」と称し、帝国の統一と拡大を目指しました。アッカド人の王は、自分たちの業績を記録するために、楔形文字で書かれた碑文やレリーフを残しました。アッカド人の芸術は、サルゴンの孫であるナラム・シンの青銅製の頭像など、写実的で力強いものが多くあります。

アッカド人は、古代オリエントの歴史において重要な役割を果たしました。アッカド人は、メソポタミアの統一と拡大を実現し、世界史上初の多民族国家を築きました。アッカド人は、楔形文字で書かれたアッカド語を発展させ、古代オリエントの共通語としました。アッカド人は、シュメール人の文化を受け継ぎながら、独自の文化を創造しました。アッカド人の文化は、バビロニアやアッシリアなどの後継国家に引き継がれ、古代オリエントの文明に大きな影響を与えました。

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