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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / ローマ帝国

アントニウスとは わかりやすい世界史用語1100

著者名: ピアソラ
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アントニウスとは

アントニウスとは、共和政ローマ末期の著名な軍人および政治家であり、ガイウス・ユリウス・カエサルの忠実な支持者として知られています。

アントニウスの生涯

アントニウスは紀元前83年にローマで誕生しました。彼の家系は名門で、祖父はスッラの支持者として知られていましたが、マリウスによって処刑されました。父親もまた東方の海賊討伐で名を馳せましたが、アントニウスが若い頃に亡くなりました。母親のユリア・カエサリスを通じて、アントニウスはカエサルと遠い親戚の関係にありました。

軍人としての活躍

若い頃のアントニウスはギリシアで修辞学を学びました。その後、アウルス・ガビニウスのもとで騎兵隊に参加し、シリアやエジプトでの戦闘に従事しました。特にエジプトでは、追放されたプトレマイオス12世を復位させるための作戦に貢献しました。



カエサルとの関係

紀元前54年、カエサルはアントニウスをガリア戦争に参加させました。アントニウスはカエサルの信頼できる副官として活躍し、特にアレシアの戦いで重要な役割を果たしました。彼の軍事的才能と忠誠心はカエサルに高く評価され、カエサルの最も信頼される部下の一人となりました。

ローマ内戦とカエサルの暗殺

カエサルがルビコン川を渡り、ローマ内戦が始まると、アントニウスはカエサルの側近として行動しました。紀元前49年には平民護民官に選出され、カエサルの政策を支持しました。内戦中、アントニウスはイタリアの管理を任され、カエサルがギリシア、北アフリカ、スペインでの戦闘に集中できるよう支援しました。

紀元前44年、カエサルが暗殺されると、アントニウスはカエサルの後継者としての地位を確立しようとしました。彼はカエサルの遺体を元老院に運び、カエサルの意志を公表し、支持者たちを結集させました。

第2回三頭政治

カエサルの暗殺後、アントニウスはマルクス・アエミリウス・レピドゥス、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)と共に第2回三頭政治を結成しました。この同盟は、カエサルの暗殺者たちを討伐し、ローマの政治を安定させることを目的としていました。

紀元前42年、フィリッピの戦いでアントニウスとオクタウィアヌスはカエサルの暗殺者たちを打ち破り、三頭政治の支配が確立されました。その後、アントニウスはローマの東方領土を掌握し、エジプトの女王クレオパトラと同盟を結びました。

クレオパトラとの関係と内戦

アントニウスとクレオパトラの関係は、ローマの政治に大きな影響を与えました。彼らは三人の子供をもうけ、アントニウスはクレオパトラと共にエジプトを拠点に活動しました。しかし、この関係はオクタウィアヌスとの対立を深め、最終的には内戦へと発展しました。

紀元前31年、アクティウムの戦いでアントニウスとクレオパトラの連合軍はオクタウィアヌスに敗北しました。二人はエジプトに逃れ、紀元前30年にはアレクサンドリアで再び敗北し、最終的に自ら命を絶ちました。

アントニウスの死後、オクタウィアヌスはローマの唯一の支配者となり、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスとして即位しました。アントニウスの軍事的成功と政治的手腕はローマの領土拡大と統治に大きく貢献しましたが、彼の敗北はローマの政治体制に根本的な変化をもたらす結果となりました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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