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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / ギリシア世界

パルテノン神殿とは わかりやすい世界史用語1028

著者名: ピアソラ
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パルテノン神殿とは

パルテノン神殿は、古代ギリシャのアテネに位置するアクロポリスの丘に建てられた神殿で、アテネの守護神である女神アテナを祀っています。

パルテノン神殿の概要

パルテノン神殿は、紀元前447年から紀元前438年にかけて建設されました。この建物は、古代ギリシャ建築の中で最高の例とされ、特にドーリア式建築の代表的な例として知られています。パルテノン神殿は、アテネの民主主義の象徴であり、ギリシャ文化の重要な遺産としてユネスコの世界遺産に登録されています。



建設の背景と目的

この神殿の建設は、アテネの指導者ペリクレスのもとで進められました。彼は、アテネの文化的および政治的な中心地としての地位を強化するために、アクロポリスの再建計画を推進しました。この計画の一環として、パルテノン神殿が建設されたのです。
神殿は、アテネの守護神であるアテナを祀るために建てられ、さらにデロス同盟の財宝を保管する場所としても利用されました。

建築の特徴

パルテノン神殿は、ドーリア式建築の特徴を持ちながら、イオニア式の要素も取り入れています。以下に、主な建築的特徴を挙げます:

柱(コラム):神殿の外周には46本のドーリア式の柱が立ち並び、力強さと安定感を象徴しています。

柱頭(キャピタル):柱頭はシンプルな円形で、正方形のアバクスが上に載っています。

エンタブラチュア:柱の上にはエンタブラチュア(梁)があり、アーキトレーブ、フリーズ、コーニスの3つの部分から成り立っています。特にフリーズには、トリグリフ(3本の縦溝)とメトープ(装飾パネル)が交互に配置されています。

ペディメント:神殿の両端にはペディメント(切妻)があり、ここにはアテナの神話に基づく彫刻が施されています。

彫刻と装飾

パルテノン神殿の彫刻は、古代ギリシャ美術の傑作と見なされています。彫刻家フェイディアスの指導のもと、多くの芸術家が参加して制作されました。主な彫刻と装飾は次の通りです:

ペディメント彫刻:東側のペディメントにはアテーナーの誕生の場面、西側にはアテーナーとポセイドンの間での争いが描かれています。

メトープ彫刻:フリーズのメトープには、ギリシャ神話の様々な場面が描かれています。例えば、ラピテス族とケンタウロスの戦いや、アマゾン族との戦い、トロイア戦争などです。

パナテナイア行列:内側のフリーズには、パナテナイア祭の行列が描かれています。この祭りはアテーナーの誕生日を祝うもので、アテネ市民が参加する大規模な行事でした。

歴史的変遷

パルテノン神殿は、その後の歴史において様々な用途に使用されました。以下にその変遷を示します:

キリスト教聖堂:6世紀には、神殿がキリスト教の聖堂に改装され、内部の装飾や構造が一部変更されました。

モスク:オスマン帝国の支配下にあった1460年代には、神殿がモスクとして使用され、この時にミナレットが追加されました。

火薬庫:1687年、ヴェネツィア共和国の攻撃により、神殿が火薬庫として使われていたために爆発し、大きな損傷を受けました。

現代の保存と修復

現在、パルテノン神殿はギリシャ政府により保存と修復が進められています。このプロジェクトは、神殿の部分的な破壊を修復し、保全することを目的としており、後世に伝えるための重要な取り組みです。

パルテノン神殿は、古代ギリシャの建築と美術の最高峰として評価されており、その歴史的および文化的価値は非常に高いです。アテネのアクロポリスに位置するこの神殿は、アテネの守護神アテナを祀るために建てられ、その後の歴史の中で様々な用途に使用されてきました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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