新規登録 ログイン

18_80 西アジア・地中海世界の形成 / ギリシア世界

重装歩兵《ギリシア》とは わかりやすい世界史用語942

著者名: ピアソラ
Text_level_2
マイリストに追加
重装歩兵《ギリシア》とは

ギリシアの重装歩兵(ホプリテス、複数形でホプリタイ)は、古代ギリシアの市民兵士で戦争の主体として活躍しました。彼らは、ギリシアの戦争において重要な役割を果たし、その戦術と装備は後の軍事史にも大きな影響を与えました。

重装歩兵の起源と役割

重装歩兵は、ギリシアの都市国家(ポリス)の市民兵士であり、戦争時には自らの装備を整えて戦場に赴きました。彼らの名前は、彼らが使用した大きな円形の盾「ホプロン」に由来します。重装歩兵は、主に槍と盾を用いて戦い、密集隊形(ファランクス)を組んで敵に立ち向かいました。



装備と戦術

重装歩兵の装備は、重装歩兵としての特徴を示しています。彼らは、以下のような装備を身に着けていました:

ホプロン(盾):直径約1メートルの大きな円形の盾で、木製のフレームに青銅の外装が施されていました。

ドーリス(槍):長さ約2.5メートルの槍で、主に突き刺すために使用されました。

キュリス(胸甲):青銅製の胸甲で、上半身を保護しました。

グレーヴス(脛当て):青銅製の脛当てで、脚部を保護しました。

コルインス式兜:青銅製の兜で、顔全体を覆うデザインが特徴です。

重装歩兵は、密集隊形(ファランクス)を組んで戦いました。この隊形では、兵士たちが互いに密接して並び、前列の兵士が盾を構え、後列の兵士が槍を突き出すことで、敵に対して強固な防御線を形成しました。この戦術は、敵の突撃を防ぎ、組織的な攻撃を可能にしました。

重装歩兵の社会的地位

重装歩兵は、ギリシア社会において重要な地位を占めていました。彼らは市民兵士であり、戦争時には自らの装備を整えて戦場に赴く義務がありました。このため、重装歩兵は一定の財産を持つ市民階級に属しており、彼らの存在は都市国家の防衛力を支えるものでした。

重装歩兵の戦争と影響

重装歩兵は、ギリシアの戦争において重要な役割を果たしました。彼らの戦術と装備は、ギリシアの戦争の様相を大きく変えました。特に、ペルシア戦争やペロポネソス戦争において、重装歩兵は決定的な役割を果たしました。

ペルシア戦争では、重装歩兵はマラトンの戦い(紀元前490年)やプラタイアの戦い(紀元前479年)でペルシア軍に対して勝利を収めました。これらの戦いでは、重装歩兵の密集隊形と戦術が効果的に機能し、ギリシアの勝利に貢献しました。

ペロポネソス戦争では、アテネとスパルタの間で激しい戦闘が繰り広げられました。スパルタのホプリタイは、その厳格な訓練と戦術で知られており、最終的にアテネを打ち破りました。

重装歩兵の遺産

重装歩兵の戦術と装備は、後の軍事史にも大きな影響を与えました。彼らの密集隊形(ファランクス)は、後のマケドニアのアレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)によって改良され、さらに強力な戦術として使用されました。また、重装歩兵の装備や戦術は、ローマ軍にも影響を与え、ローマの軍事力の基盤となりました。

重装歩兵の存在は、ギリシアの都市国家の防衛力を支えるものであり、彼らの戦術と装備は、ギリシアの戦争の様相を大きく変えました。彼らの遺産は、後の軍事史にも大きな影響を与え、今でも研究の対象となっています。

ギリシアの重装歩兵は、古代ギリシアの市民兵士として、戦争において重要な役割を果たしました。彼らの装備と戦術は、ギリシアの戦争の様相を大きく変え、後の軍事史にも大きな影響を与えました。重装歩兵の存在は、ギリシアの歴史において重要な位置を占めています。
Tunagari_title
・重装歩兵《ギリシア》とは わかりやすい世界史用語942

Related_title
もっと見る 

Keyword_title

Reference_title
『世界史B 用語集』 山川出版社

この科目でよく読まれている関連書籍

このテキストを評価してください。

※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。

 

テキストの詳細
 閲覧数 802 pt 
 役に立った数 0 pt 
 う〜ん数 0 pt 
 マイリスト数 0 pt 

知りたいことを検索!

まとめ
このテキストのまとめは存在しません。