北朝とは
北朝は、華北に続いた5王朝のことです。
北魏(386年 - 534年)は、北朝の始まりを告げる重要な王朝でした。北魏は、鮮卑族の拓跋氏によって建国され、華北を統一しました。北魏の時代には、仏教が広く普及し、洛陽にある龍門石窟などの仏教遺跡が築かれました。また、北魏の孝文帝(在位471年 - 499年)は、漢化政策を推進し、鮮卑族の風習を漢族の風習に改めるなどの改革を行いました。
北魏の末期には、内部の対立が激化し、534年に東魏と西魏に分裂しました。東魏(534年 - 550年)は、北斉(550年 - 577年)に引き継がれ、西魏(535年 - 557年)は、北周(557年 - 581年)に引き継がれました。
東魏は、北魏の分裂後に成立し、実質的には高歓が権力を握っていました。550年に高歓の子である高洋が東魏を滅ぼし、北斉を建国しました。北斉は、軍事力を背景に一時的に強大な勢力を誇りましたが、内部の腐敗と権力闘争により短命に終わりました。
西魏は、北魏の分裂後に成立し、宇文泰が実権を握っていました。宇文泰は、軍事改革を行い、府兵制を導入するなどの改革を行いました。557年に宇文泰の子である宇文覚が西魏を滅ぼし、北周を建国しました。北周は、北斉を滅ぼし、華北を再統一しました。
北朝は、581年に北周の外戚である楊堅が北周を滅ぼし、隋を建国することで終焉を迎えました。隋は、589年に南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一しました。
北朝の時代は、政治的には混乱が続きましたが、文化的には仏教の普及や漢化政策の推進など、多くの重要な変革が行われた時代でもありました。これらの変革は、後の隋・唐時代の繁栄の基盤となりました。