華夷思想とは
華夷思想は、古代中国における自民族中心主義の一形態で、中国(華)を世界の中心とし、その周辺の非漢民族(夷)を文化的に劣るものと見なす思想です。この思想は、中国の皇帝を世界の中心とみなし、天下を代表する「天子」と称することから発展しました。天子が統治する朝廷の文化と思想が世界で最高の価値を持つとみなされ、異民族や外国の侵入に対しては、熾烈な排外主義思想として表面化することがありました。
華夷思想は、春秋戦国時代以後、「詩経」や「韓非子」「呂氏春秋」などの古典にある「普天之下 漠非王土 率土之浜 莫非王臣」(天下のもの全て、帝王の領土で無いものはなく、国のはてまで、帝王の家来で無いものはいない)という言葉にあるように礼教文化の王道政治にもとづいて天子を頂点とする国家体制を最上とし、その徳が及んでいない状態であれば夷と称されることにあります。夷は道からはずれた禽獣(鳥やけだものを意味する)に等しいものとして東夷・西戎・南蛮・北狄などと呼んでいました。
この夷の基準は固定的なものではなく、天子の徳や礼が及び、文化の発展とともに移動する変動的な概念である。中華とは、華(=文明)の中であり、文明圏を意味する儒教的価値観から発展した選民思想であり、その字義のことである。自らを華(=文明)と美称するにあたって、対比となる夷(=非文明)が華の外に必要となり、すべての非中華が彼らの思想的に夷(=蛮)とされました。
四夷の概念は、中国人の考える中華思想では、「自分たちが世界の中心であり、離れたところの人間は愚かで服も着用しなかったり獣の皮だったりし、秩序もない」ということから、四方の異民族について四夷という蔑称を付けました。特に中華文明を代表する天子としての皇帝は、自らの徳をもって周辺諸民族を教化して文明へと導くと考えられました。民が教育によって士となりうるように、四夷の概念は固定的なものではなく文化の発展とともに移動する変動的な概念であり、孟子はこれを「夏をもって夷を変ずる」と述べています。
華夷秩序とは、中国の王朝を世界の中心に位置づける中華思想に基づき、諸外国と結ばれた関係性を指します。この秩序は、中国が自己の文明を中心に咲く華に例え、その周辺を未開の蛮人の国と蔑視する考え方がありました。この思想は中国の思想だけでなく、外交政策や国内の制度にも大きな影響を与えました。また、日本も歴史上、中国の秩序の影響を受けていました。