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17_80 近代日本の形成とアジア / 条約改正・日清/日露戦争

【明治憲法の制定、初期の帝国議会、条約改正、日清戦争】 受験日本史まとめ 59

著者名: Cogito
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初期の帝国議会

明治政府は、大日本帝国憲法の発布に際して、政党の意向に左右されることなく政策を実行する超然主義を宣言しました。しかし、1888年(明治21年)から1889年(明治22年)にかけて、後藤象二郎など民権派のながれをくむ諸勢力を結集した大同団結運動が全国に広まり、地方には議会開設のために政社が次々と誕生しました。この運動は、1889年(明治22年)に政府に懐柔された後藤象二郎が入閣したことで一時混乱しましたが、1890年(明治23年)7月の第一回衆議院議員総選挙では民権派の民党各派が、政府系の政党である吏党をしのぎ過半数の議席を占めました。そのなかで主だった党派は、同年9月に立憲自由党(のちの自由党)を結成し、立憲改進党とともに民党の中心となりました。

このあと開かれた第一議会から第六議会までを初期議会といい、第一議会(1890年)では、政府の予算案を大幅に削減しようとし、第1次山県内閣と対立しました。最終的にこの対立は相互の妥協により収まり、政府は予算案を成立させました。

第二議会(1891年)では、海軍拡張や第1次松方内閣の多くの政策が否決され、予算案が大幅に削減されたことから、はじめて衆議院解散が行われました。この議会では、海相樺山資紀が蛮勇演説を行い民党から多くの非難を浴びました。第2回衆議院選挙では内相品川弥二郎が民党候補の選挙干渉を行いましたが、選挙妨害にもかかわらず民党は過半数の議席を占め、吏党は民党勢力を無視できなくなりました。

第三議会(1892年)では、松方内閣は選挙干渉の責任を追求され、閉会後閣内対立により総辞職し、第2次伊藤内閣が成立しました。

第四内閣(1892~93)でも、第2次伊藤内閣は軍艦建造など軍事予算削減を迫られましたが、天皇の詔勅(和衷協同の詔)により自由党と妥協し、これを乗り切りました。

第五議会(1893年)・第六議会(1894年)は改進党などの対外硬派が条約改正問題で伊藤内閣を弾劾し、2度の衆議院解散が行われました。

条約改正

江戸幕府が諸外国と結んだ不平等条約の改正は、明治維新以来日本政府の重要な外交課題でした。明治政府は、関税自主権の獲得(税権回復)と領事裁判権の撤廃(法権回復)を主な目標にしており、明治初年に岩倉具視特命全権大使をアメリカに派遣し条約改正交渉にあたらせましたがこれは失敗し、その後外務卿寺島宗則に交渉させ、1878年(明治11年)に税権回復の同意をアメリカから得ましたが、イギリスなどの反対にあい、新条約は実施されませんでした。

1879年(明治11年)から1887年(明治20年)まで外務卿(のちの外務大臣)の職にあった井上馨は、条約改正のために奔走しました。1882年(明治15年)に条約改正予備会議を開き、その後1886年(明治19年)から翌年にかけて正式な交渉をはじめました。

改正案では、内地雑居・外国人判事の任用・西洋風の近代的な諸法律を2年以内に制定することなどを条件に、領事裁判権の廃止と輸入税率を引き上げることが盛り込まれました。

井上馨は、条約改正へ向けた取り組みとして、欧化政策を積極的に行い、欧米の制度・法律・習慣・生活洋式などを盛んに取り入れ、鹿鳴館では西洋式の大舞踏会を開き、欧米諸国の関心をひこうとしました。

しかし、この改正案に対し、政府内外で批判が起こり、農商務大臣谷干城(1837〜1911)はこれに反対し辞任し、フランス人法律顧問のボアソナードもこの改正案が日本に不利な内容であると説きました。最終的に、1887年(明治20年)、井上馨は交渉の無期延期を通告し、間もなく辞任しました。同時期、民間では、民権派や国権派が中心となり、反政府気運が高まり、同年三大建白運動がおこりました。

ついで外相となった大隈重信は、1888年(明治21年)にメキシコとの間で条約締結に成功しましたが、翌年ロンドンタイムス紙に改正案が暴露され、国内の反対運動が高まり、翌年玄洋社の活動家のテロにより大隈は負傷、黒田内閣は総辞職し条約改正は失敗しました。その後、外相となった青木周蔵はイギリスと交渉を進め、同意を得られる可能性が高まった矢先に、ロシア皇太子が襲われ負傷した大津事件がおこり、青木は引責辞任し、交渉はふたたび中断されました。

第2次伊藤内閣の外相陸奥宗光が、再び交渉を再開し、イギリスもロシアの極東南下政策に危機感を覚えていたため、1894年(明治27年)日英通商航海条約が締結されました。1911年(明治44年)に改正条約の満期を迎え、外相小村寿太郎が再び交渉を開始し、日露戦争の勝利により日本の国際的地位が高まっていた状況により、列強の反対もなく、関税自主権が完全回復しました。
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