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【邪馬台国と卑弥呼】 受験日本史まとめ 4
著作名: Cogito
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『魏志』倭人伝には邪馬台国の記述があります。

内容をまとめてみると次のようになります。

・帯方郡の東南に倭人が住んでおり、小国を形成している。
・漢の時代には百あまりの国が朝貢してきたが、魏の時代になると、通交する国は三十国になった。
・帯方郡から倭に至るまでには、朝鮮半島・韓国・対馬国を経て更に南へ進むと邪馬台国に至る。
・邪馬台国は、女王卑弥呼の治める国であり、帯方郡からここまで一万二千余里である。
・男性は刺青で身を飾り、身分の差が存在している。
・女性は髪をまとめ、服に穴を一つあけ、そこに頭を通している。
・重要な判断をするときには、骨を火で焼く占いによって決める。
・犯罪を犯したものがいれば、罪が軽ければ妻子まで、重ければ一族すべてを処刑する。
・国には市場が存在し、大倭という役人が管轄している。
・女王国より北の国々には、一大率という役人が派遣され、監察している。これは、伊都国に駐在している。
・身分には下級の下戸と、支配者の大人がおり、下戸は大人に道で会うとき、草むらの中に入って道を譲り、声をかけられる場合、跪き、両手を地につけなければならない。
・邪馬台国は、かつて男性の王によって統治されていたが、七、八十年たち内乱が起こり、国が乱れた。
・そこで、新しい盟主として女性の王をたて、これを卑弥呼といった。
・卑弥呼は呪術に長け、国をよく治めた。
・彼女は年長で、夫もいなかったが、弟がこれを補佐した。
・景初二年=239年、卑弥呼は大夫の難升米を帯方郡に派遣した。この使者は、魏の皇帝へ朝貢を望んだ。
・魏の皇帝は卑弥呼に対し親魏倭王の称号を与え、金印に紫の紐をつけ、帯方郡の太守を通じてこれを授けた。
・274年、倭の女王卑弥呼は、狗奴国の男王の卑弥弓呼ともともと仲が悪かった。
・卑弥呼は狗奴国との争いを報告し、魏の皇帝は勅書を難升米に託し、檄を送って卑弥呼を励ました。
・卑弥呼の死去により、大きな墓所が作られた。
・後追いで殺された奴隷は百人あまりであった。
・卑弥呼の死後、男の王が即位したが、これに従う人々はおらず、殺し合い、千人あまりの死者が出た。
・この混乱を収めるため、卑弥呼の一族の中から壹与(壱与・台与)という十三歳の娘を女王としたところ、連合が再び復活した。




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