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「ボスニア・ヘルツェゴビナ」について調べてみよう
著作名: 早稲男
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ボスニア・ヘルツェゴビナ

ボスニア・ヘルツェゴビナ(英語ではBosnia and Herzegovina)は、東南ヨーロッパ、バルカン半島の北西部に位置する共和制国家です。首都はサラエボです。

このテキストでは、ボスニア・ヘルツェゴビナの特徴を「国土」、「人口と人種」、「言語」、「主な産業」、「主な観光地」、「文化」、「スポーツ」、「日本との関係」の8つのカテゴリに分けて詳しく見ていき、同国の魅力や国際的な影響力について考えていきます。


国土

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ボスニア・ヘルツェゴビナの国土面積は51,209平方キロメートルです。国土の形状はほぼ三角形で、南部のアドリア海沿岸に約20キロメートルの短い海岸線を有します。北、西、南にクロアチア、東にセルビア、南東にモンテネグロと国境を接しています。地形は、中央部と東部が山岳地帯であり、北西部は丘陵地帯、北東部は平野が広がっています。


人口と人種

2024年の推計によると、ボスニア・ヘルツェゴビナの人口は約3,400,000人です。この人口は主に3つの民族グループから構成されています。ボシュニャク人が50.11%、セルビア人が30.78%、クロアチア人が15.43%を占めます(2013年)。この民族構成は、オスマン帝国とオーストリア=ハンガリー帝国の支配、そしてユーゴスラビアの紛争という歴史的な変遷を経て形成されたものであり、現在の国の社会構造を表しています。


言語

ボスニア・ヘルツェゴビナでは、ボスニア語、セルビア語、クロアチア語が公用語として使用されています。これらの言語は、文法や語彙において共通点が多く、相互に理解可能です。ボスニア語は主にラテン文字で、セルビア語は主にキリル文字で表記されますが、クロアチア語はラテン文字を使用します。このような複数の言語が共存する状況は、多文化的な社会を反映しています。


主な産業

ボスニア・ヘルツェゴビナの経済は、サービス業が中心です。2023年のGDP構成比は、サービス業が約63.5%、工業が約29.1%、農業が約7.4%となっています。主要な産業には、金属加工、繊維、食品加工、木材製品、石炭、水力発電などがあります。特に自動車部品の製造や家具生産は、輸出において重要な役割を果たしています。2023年の実質GDP成長率は2.0%と推計されています(2024年)。


主な観光地

ボスニア・ヘルツェゴビナには、歴史的および自然的な観光地が複数存在します。

サラエヴォ

首都であり、多様な文化や宗教の歴史を持つ都市です。第一次世界大戦のきっかけとなったフランツ・フェルディナント大公が暗殺された都市としても知られています。旧市街のバシュチャルシヤは、オスマン帝国時代の雰囲気を持つ市場で、モスクや教会が共存しています。


モスタル

スタリ・モスト(古い橋)で知られる都市です。この橋は、オスマン帝国時代に建設され、ボスニア・ヘルツェゴビナの象徴の一つとなっています。橋は、ネレトヴァ川の両岸にある旧市街を結び、2005年にボスニア・ヘルツェゴビナ初のユネスコ世界遺産に登録されました。


ヴィシェグラード

オスマン帝国時代のメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋があり、これもユネスコ世界遺産に登録されています。

ヴレロ・ボスネ(ボスナ川の源流)

サラエヴォ近郊にある自然公園で、美しい自然景観が特徴です。

ウナ国立公園

ボスニア北西部に位置し、ウナ川の壮大な滝や急流が有名です。


これらの場所は、歴史、文化、自然の多様性を示しています。


文化

ボスニア・ヘルツェゴビナの文化は、まさに東西の文化が溶け合う場所で育まれました。その独特な歴史は、建物の形、響き渡る音楽、日々の食卓、そして人々の信仰に深く刻まれています。この国を歩けば、東洋と西洋の文化が隣り合って息づいているのを感じられるでしょう。


宗教

イスラム教、セルビア正教会、カトリック教会が主な宗教です。それぞれの宗教コミュニティが独自の伝統を維持しており、モスク、教会、シナゴーグが隣接する光景が見られます。

食文化

ボスニア料理は、オスマン帝国の影響を受けたバルカン料理と、オーストリア=ハンガリー帝国の影響を受けた中央ヨーロッパ料理が融合したものです。代表的な料理には、挽肉をパンに挟んだチェヴァピや、肉と野菜の煮込み料理であるボサンキ・ロナツがあります。

音楽

伝統的な音楽ジャンルであるセヴダリンカは、メランコリックで感情豊かな歌が特徴で、ボスニア・ヘルツェゴビナの文化遺産の一つとされています。


スポーツ

サッカーとバスケットボールが特に人気のあるスポーツです。サッカーでは、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表チームが国際大会に出場しています。国内には、FCサラエヴォやジェリェズニチャル・サラエヴォといったプロサッカークラブが存在します。かつてサッカー日本代表の監督を務めたイビチャ・オシムも、ボスニア・ヘルツェゴビナ国籍でした。

バスケットボールも盛んで、国内外で活躍する選手を輩出しています。冬季スポーツも、サラエヴォが1984年の冬季オリンピックを開催した歴史から、スキーやアイスホッケーが行われています。


日本との関係

日本とボスニア・ヘルツェゴビナは、外交関係を維持しており、相互理解を促進するための協力が行われています。日本の外務省によると、日本は紛争後の復興支援として、地雷除去、インフラ整備、教育、医療分野への援助を実施してきました。文化交流も行われており、両国間でスポーツや芸術を通じた交流事業が実施されています。2023年時点では、在ボスニア・ヘルツェゴビナ日本国大使館がサラエヴォに、駐日ボスニア・ヘルツェゴビナ大使館が東京に設置されています。

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