欧米各国の帝国主義で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
帝国主義の成立
・19世紀末(1870〜1890年頃)以降第一次世界大戦まで、欧米列強が各国の勢力圏を広げ、世界を分割していった
帝国主義が進められた。帝国主義が進んだ背景には、(1)原料供給地・製品販売の市場としてだけではなく、余剰資本の投資先として植民地の重要性が高まった。(2)労働運動や社会主義運動の激化により、社会政策の必要性に迫られた各国政府が、その資金獲得のために植民地の拡大を目指した。この2つの説がある。
・帝国主義がすすむ一因になったのが
第2次産業革命と言われる電力・石油を新動力源とする
重化学工業の発展である。企業は次第に巨大化し、
カルテル・トラスト・コンツェルン・シンジケートなどの形態をとり、集中や独占が進み、大企業が市場を支配した。ビスマルクの保護を受けたドイツの兵器生産企業
クルップなどはその代表で、ドイツ最大のコンツェルンを形成した。
・少数の大企業群は独占資本と言われ、国内では保護関税に守られ、対外的には国家権力と結んで資本輸出を行い莫大な利益をあげた。産業資本と銀行資本が結合した独占資本を金融資本といい、相互に株式を持ち合い、巨大化していった。
イギリス
・イギリスは19世紀以降、金融面で世界を支配し、「世界の銀行」と言われた。ロンドンの
シティはイギリスの金融機関が集中し、今日でも世界の金融の中心となっている。
・
1875年、イギリスは財政難に陥ったエジプトから
スエズ運河の株式(全体の44.4%)を買い取り、スエズ運河の経営に大きな影響力を持つようになった。この際首相
ディズレーリはロンドンのユダヤ系金融資本家
ロスチャイルドから資金を調達した。
・広大な植民地を持っていたイギリスは、度々
イギリス植民地会議や
イギリス帝国会議を開催し、本国と植民地の結びつきを強固にした。
・国内では、1884年に
バーナード=ショーら知識人により
フェビアン協会が結成され、
ウェッブ夫妻がこれを指導した。1900年には、
独立労働党・フェビアン協会・社会民主連盟と65の労働組合の代表らが
労働代表委員会を結成し、その後1906年に総選挙で29議席を獲得し、
労働党が誕生した。
・当時の政権はさまざまな政策を行い、
国民保険法(1911)、議会法(1911)が定められ、そのほかにも
アイルランド自治法などが提案された。アイルランド自治法に反対し自由党を離党した
ジョゼフ=チェンバレンは自由統一党を設立し、植民相として
南アフリカ戦争など帝国主義政策を進めた。
・アイルランドではイギリス支配に反対した人々により
シン=フェイン党が結成され、1916年には急進派が独立を目指した
イースター蜂起をおこした。
フランス
・フランスでは、
普仏戦争中に
ナポレオン3世が退位し、
第二帝政が崩壊、その後
第三共和政(1870〜1940)が成立した。1875年には
第三共和政憲法が制定され、
三権分立・二院制・任期七年の大統領制が定められた。1887年から1889年にかけて、元陸相ブーランジェが
ブーランジェ事件をおこし、クーデターを企てたが失敗した。
・対外的には、
ドイツ・オーストリア・イタリアの
三国同盟に対抗して
露仏同盟(1891〜1894)が成立し、フランスの国際的孤立が解消された。
・国内では反ユダヤ主義に基づく
ドレフュス事件(1894〜1899)が起こり、作家の
ゾラが軍部の反ユダヤ主義を批判した。この事件に衝撃をうけたユダヤ人ジャーナリストの
ヘルツルがユダヤ人国家をパレスチナにつくろうと
シオニズム運動を始めた。
・
1904年には
英仏協商が結成され、ドイツの帝国主義に対抗するようになった。1905年には、
フランス社会党(統一社会党)が結成され、カトリック教会の政治介入を断つため
政教分離法が成立した。
ドイツ
・ドイツでは、
1890年3月、皇帝
ヴィルヘルム2世との対立から
ビスマルクが辞職し、皇帝の親政がはじまった。ヴィルヘルム2世は海軍を拡張し、世界政策をすすめ、イギリスとの
建艦競争が始まった。
・ビスマルクの辞職により、
社会主義者鎮圧法が廃止され、ドイツ社会主義労働者党が改称し、
ドイツ社会民主党が成立した。この時代、社会主義者
ヘーベル・ベルンシュタイン・ラサールなどが活躍した。
ロシア
・ロシアでは1903年に、
プレハーノフや
レーニンにより
ロシア社会民主労働党が結成された。しかし、内部対立からレーニンの指導する
ボリシェヴィキとプレハーノフの指導する
メンシェヴィキに分裂した。
・1901年末には
社会革命党(エス=エル)が結成されたが、1917年の十一月革命で分裂した。
・
1905年には
ペテルブルクで日露戦争に対する平和請願デモに対し、軍隊が発砲し多数の死者を出した
血の日曜日事件が発生し、
第1次ロシア革命(1905年1〜9月)がおこった。同年6月の
ポチョムキン号の反乱をきっかけに
日露戦争が終結し、10月に
十月勅令(十月宣言)が
ニコライ2世により発布され、国会の開設や憲法制定が決まり、革命は鎮静化した。
・1905年10月にはブルジョワ政党の
立憲民主党が成立し、
1906年には
ドゥーマという議会が開設され、制限選挙で選ばれた議員が議論をたたかわせた。
・蔵相
ヴィッテは保護主義政策や外国資本の導入を行い、
シベリア鉄道の建設など資本主義化をすすめた。
ポーツマス会議の全権や
十月宣言を起草し、のちに首相となるが、その後1906年に失脚した。ヴィッテ失脚後には、
ストルイピンが首相となり、反動政治をすすめ、
ミール(農村共同体)を解体した。
アメリカ
・アメリカでは1886年に
アパッチ族の首長
ジェロニモが降伏し、インディアンの組織的抵抗が終結し、
1890年
フロンティアの消滅が政府によって発表された。
・経済界では、
ロックフェラーや
カーネギー、
モルガンなど大実業家が現れ、独占資本を形成したが、国民の反感うけ
反トラスト法が成立した。しかし、これらの法律は独占化を阻止できなかった。
・対外的には、第25代大統領
マッキンリーの時代に、
米西戦争や
ハワイ併合などの帝国主義政策が進められた。米西戦争に勝利したアメリカは、
キューバ独立とその保護国化や、
フィリピン・プエルトリコ・グアムを獲得した。
・この時代、国務長官
ジョン=ヘイにより
門戸開放宣言が出され、中国に対する
門戸開放・機会均等・領土保全の3原則が提唱された。
・第26代
セオドア=ローズベルトの時代には、改革主義や
棍棒外交が進められた。
・第28代
ウィルソンの時代には、関税引き下げや反トラスト法が制定され、対外的には宣教師外交が進められた。