封建社会の成立で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
封建制の成立
・
8世紀から
9世紀の西ヨーロッパは、イスラーム勢力・マジャール人・ヴァイキングなどの異民族が次々と侵入し、その後のフランク王国の盛衰など、人々はそれぞれ自己防衛が必要な時代であった。このような状況から、有力者と主従関係を結び、保護してもらうという関係が生まれた。
・こうした主君と家臣の間の
封土(主君から貸与された土地)を媒介とした主従関係を
封建制度といい、ローマ時代の
恩貸地制と、ゲルマン社会の
従士制という2つの制度が元となり成立した。なお、西ヨーロッパの封建制は、
双務契約関係からなるもので、時には
複数従臣制をとることもあり、
血縁関係に支えられた古代中国の
周王朝で行われた封建制とは大きく異なる。
・国王・諸侯・騎士はいずれも
騎士という身分であり、封建貴族として
騎士道精神に基づく道徳的な行動が望まれた。
荘園制の成立
・西ヨーロッパの社会の基盤となったのが
荘園制である。荘園とは、主君から与えられた
封土のことであり、封土には土地を耕す耕作者が含まれていた。この耕作者は半自由民の
農奴と呼ばれ、家族・住居・農具の所有は認められていたが、他の土地への移動などは禁止されていた。
・荘園内は、領主が直接経営する
直営地と、農奴の家族経営に任せる
保有地、森林・牧草地・湖沼などからなる
共有地に分かれていた。農奴は保有地の生産物を領主に納める
貢納と、直営地を耕作する
賦役が課せられていた。こうした荘園を
古典荘園という。農奴は、その他教会に対する
十分の一税、
結婚税、
死亡税などさまざまな負担があった。また荘園領主は
不輸不入権や
領事裁判権をもち、農奴を支配した。
・時代が経つにつれ、
重量有輪犁や
三圃制農法が普及すると、農業生産性が飛躍的に向上した。こうした技術革新により、領主の直営地も分割され農民保有地として貸し出されるようになり、賦役がなくなり、農民の貢納のみが領主の収入となった。これを
純粋(地代)荘園といい、貨幣経済の浸透とともに地代の
金納化もすすみ、農奴の地位も向上していった。