西ヨーロッパの成立で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
ゲルマン民族の大移動
・ユーラシア大陸の
ウラル山脈より西の地域をヨーロッパといい、大きく分けて
西ヨーロッパ・東ヨーロッパ・地中海地方の3つの地域に分けられる。
・ヨーロッパに住んでいたのは、主に
インド=ヨーロッパ系の民族であった。中世以降になると、
西ヨーロッパの
ゲルマン系民族、
東ヨーロッパの
スラヴ系民族、
地中海地方の
ラテン系民族という分布になっていく。
・古代ヨーロッパと中世ヨーロッパをわける出来事が
ゲルマン民族の大移動である。
ゲルマン人とは
インド=ヨーロッパ系の人々で、紀元前
1000年頃に
スカンディナヴィア半島南部、ユトランド半島、北ドイツに住んでいた。彼らは先住民の
ケルト人を征服後、紀元前
1世紀以降には
ローマと接触し、ローマ帝国の中期以降
コロヌスや
傭兵として帝国内に流入した。こうした大移動前のゲルマン社会を
原始ゲルマン(古ゲルマン)社会といい、
カエサルの著書『
ガリア戦記』や、
タキトゥスの『
ゲルマニア』などにその様子が描かれている。
・原始ゲルマン社会は、さまざまな
キヴィタス(部族集団)にわかれ、最高機関として民会が設置された。次第に人口が増加し、耕地が不足したため、ローマ帝国領内に侵入していった。紀元後
9年には
トイトブルクの戦いでローマ帝国軍を破った。
・50あまりあった
キヴィタス(部族集団)は、時とともに10前後の
シュタム(大部族集団)に統合されていった。シュタムには、
ブルグント族・東ゴート族・西ゴート族・ヴァンダル族・ロンバルド族などの
東ゲルマンと、
フランク族・アングロ=サクソン族などの
西ゲルマンがあった。
・人口増大による
耕地不足と、アジア系騎馬民族
フン族の圧迫をきっかけにし、
375年、
西ゴート族が南下を開始し、ゲルマン民族はヨーロッパ西南部に大移動をはじめた。同時期、ローマ帝国も衰退しはじめ、
395年にはローマは
東西に分裂した。フン族は
アッティラ大王のもと勢力を拡大したが、
西ローマ・西ゴート・ブルグント・フランクの連合軍が
451年
カタラウヌムの戦いでこれを破り、その後イタリアに侵入したアッティラはローマ教皇
レオ1世に説得され撤退した。アッティラの死後、フン族は滅亡した。こうした混乱の中、西ローマ帝国も
476年に
アウグストゥルス帝がゲルマン人傭兵隊長の
オドアケルによって廃位され、滅亡した。
ゲルマン人の国家
■東ゴート王国(493~555)
西ローマ滅亡後建国されたオドアケルの王国を、東ゴート人の王
テオドリックが倒して
イタリアに建国した。都
ラヴェンナを中心に栄えたが、最終的に
東ローマ帝国の
ユスティニアヌス帝に滅ぼされた。
■西ゴート王国(415~711)
ガリア南部に建国されたが、フランク族に敗れ
イベリア半島の
トレドに遷都した。
711年に
ウマイヤ朝イスラーム軍に滅ぼされた。
■ヴァンダル王国(429~534)
429年
ガイゼリック王が
北アフリカのカルタゴの故地に建国。ローマ系住民を抑圧したため衰退し、最終的に
東ローマ帝国に滅ぼされた。
■ブルグント王国(443~534)
フン族に敗れたブルグント族が、
ガリア東南部に建国。最終的に
フランク王国に滅ぼされるが、現在のフランス
ブルゴーニュ地方にその名が残る。
■フランク王国(5世紀~9世紀)
フランク族
メロヴィング家出身の
クローヴィスが建国。西ヨーロッパの大部分を支配し、後に分裂しフランス・ドイツ・イタリアの原形となった。
■ランゴバルト王国(568~774)
ランゴバルト族が
北イタリアに建国したゲルマン国家。ロンバルド王国ともいい、
フランク王国の
カール大帝に滅ぼされた。北イタリアの
ロンバルディア地方の由来となる。
■ヘプターキー(七王国)
アングロ=サクソン族が、
ブリタニア(イングランド)に建国した7つの王国のこと。その中の一国
ウェセックス王が
829年に七王国を統一し、最初のイギリス王国を建国した。