イギリス革命とは
17世紀のイギリスでは、
ピューリタン革命(1642年~1649年)と
名誉革命(1688年~1689年)という2つの革命が起こりました。
この革命は、資本主義の発達とともに力を持った
市民階級によって起こされた最初の革命で、後の
アメリカ独立革命、
フランス革命とともに、
市民革命といわれます。
権利の請願とは
イギリスの歴史の中でも、重要な出来事の一つがピューリタン革命です。この革命の前段階に行われたのが
権利の請願です。
権利の請願は、議会が同意しない課税や、不法逮捕などに反対した内容の請願書で、1628年にイギリス議会が国王チャールズ1世に提出しました。
権利の請願は、歴史的に見て非常に重要な転換点に行われたものでした。
なぜ権利の請願が行われたのか
当時のイギリスは、
テューダー朝の血統が途絶えた後、スコットランドから
ジェームズ1世(在位1603年~1625年)を迎え、
ステュアート朝が開かれました。
ジェームズ1世は熱心な
王権神授説の信奉者で、議会の無視やピューリタンの弾圧など、絶対主義政策を取りました。
ジェームズ1世のあと王位についた次男の
チャールズ1世(在位1625年~1649年)も、父と同じく絶対主義政策を取り続けます。
一方、国内では
ジェントリなど新興階層が経済的な力を持ち始め、その多くは熱心な
ピューリタンでした。
ピューリタンとは、イギリスのカルヴァン派のことです。カルヴァン主義にもとづき、蓄財を認められた人々は、社会的に産業資本家として新しい階層を作っていったのです。
経済的に成功したピューリタンたちは、イギリス議会の多数派を占めるようになっていきます。
次第にチャールズ1世とイギリス議会の対立は、深刻になっていったため、1628年、イギリス議会は大憲章以来続く自治権の保障を求め、権利の請願を国王に提出したのです。
ところが、国王はこれを無視し、専制政治を続け、その後スコットランド鎮圧の費用を増税で賄おうと
短期議会、
長期議会という2つの議会を招集し、長期議会のさなか、王党派と議会派の対立が激化、1642年からピューリタン革命がおこり、チャールズ1世は処刑され、最終的に議会派が勝利しました。