キリスト教の拡大
イエスの死後、その信仰は彼の弟子(使徒)によって広められました。第1の使徒
ペテロは各地に伝道師として活躍し、多くの教会が建設されました。
また、パリサイ派の一員として当初キリスト教徒を迫害していたパウロが改宗して、ユダヤ人以外の異邦人に教義を広めていきました。
こうした伝道活動の結果、1世紀後半には東方の様々なギリシア都市や、帝都ローマにも教会が建立されるようになったのです。
教会はもともと信徒の集会所を指します。ギリシア市民の民会(ekklesia)からきていて、スペイン語のIglesiaという単語にその名残が見られます。
キリスト教徒の迫害
キリスト教徒の迫害はその成立と共に始まりました。特に伝統的なユダヤ教徒はしばしば彼らを迫害し、ローマ帝国も多神教を認めないキリスト教徒に寛容ではありませんでした。
64年に帝都ローマで大火が起こると、時の皇帝
ネロはその罪をキリスト教徒に押し付けました。その結果ローマ帝国として初めての迫害が行われ、ペテロやパウロをはじめとする多くの信徒が殉教します。
殉教というのは自分の信仰心を貫くために命を落とすことを指します。
これ以降、ローマ帝国は異教徒としてキリスト教徒を厳しく弾圧するようになりました。
迫害の始まりと共に、キリスト教徒は地下に潜り、
カタコンベという地下墓地を作り、そこで礼拝を行うようになります。度重なる迫害にもかかわらず、ひっそりと信仰を守りながら、信徒を着実に増やしていきました。
キリスト教会組織の成立
こうして信徒が増える中、教会内にも序列が生まれてきます。
ローマやイェルサレムなどの大教会が、各地の教会を指導する立場となり、各教会内も司教を頂点とし、司祭がその下に仕えるというピラミッド型組織が形作られるようになりました。
経典の確立
キリスト教は、初期の頃ユダヤ教の聖書やイエスの言葉を用いて信仰していました。信徒が増えるにつれ、各地に広がる人々に経典が必要になりました。その頃のキリスト教では、ユダヤ人以外の異邦人にも信徒がおり、文章にまとめる必要性が出てきたのです。
使徒たちが互いに送った書簡や、各地のイエスにまつわる物語がまとめられ、2世紀初めに
新約聖書が生まれます。
これ以後、ユダヤの苦難の歴史をまとめたものを
旧約聖書、イエスの言行や受難、使徒の書簡をまとめたものを
新約聖書として用いるようになりました。
旧約とは古いユダヤの神との契約を意味し、新約とはイエスの誕生以後新たに神から授かった契約という意味で区別されました。新約聖書は、ヘレニズム時代の共通語コイネーで書かれました。
経典と共に、各地の教父質によって正統教義の確立も始まります。ユダヤ人のみならず、ヨーロッパ全土に広まったキリスト教徒は、様々な人種に広がったので、統一した教義がないとバラバラになるおそれがあったのです。