奈良時代の高僧で
行基と
鑑真という2人がいました。
筆者が高校生だった頃のことを考えてみると、どっちが行基でどっちが鑑真だっけ?ということが多々起こっていましたので、この2人を比較して説明してみましょう。
■行基
行基は、河内(いまの大阪府堺市)に生まれた
日本の僧です。
当時の朝廷は、仏教はえらい人たちだけのもの!として一般の人たちへの普及を禁じていました。そのような時代に行基は、畿内地方を中心に、身分を問わずに仏教を広めて周りました。そのために朝廷からつかまることもありましたが、市民からのの圧倒的な支持によって、東大寺大仏(奈良の大仏)を建てるときには、聖武天皇から
大僧正(お坊さんのボス)に任命されました。
■鑑真
鑑真は
唐に生まれた僧です。
本来、お僧さんになるためには「
受戒」という儀式を受けなければなりません。いわゆる、位の高いお坊さんから洗練の儀式を受けて、はじめて僧と名乗れるようになるわけです。
ところが当時の日本には、受戒を行えるえらいお僧さんがいなく、ほとんどの僧が、自分で僧になったと宣言をしていました。(つまり、今日から俺僧侶!といえば誰でもお坊さんになれたわけです)
そこで
日本政府から、きちんと受戒を行い日本の仏教制度を作って欲しいとの依頼をうけて、日本へと渡ることになったのが鑑真です。
唐から日本への道のりは簡単ではありませんでした。嵐や病気によってその旅は何度も失敗をし、鑑真が出発を決意してから日本にやってくるまで10年の歳月がかかったと言われています。鑑真本人も、この旅によって両目を失明してしまいます。
行基は大仏建立に貢献。鑑真は仏教制度を整えた