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17_80 近世の社会・文化と国際関係 / 戦国時代・安土桃山時代

鎌倉幕府の成立はいつ?候補が6つある理由をわかりやすく解説【1分でわかる日本史】

著者名: かわちゃん
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鎌倉幕府の成立(かまくらばくふのせいりつ)とは、源頼朝を中心とする武士の政権が、鎌倉を拠点に全国へ支配を広げていった過程のことです。成立の年には1180年から1192年まで6つの候補があります。かつては頼朝が征夷大将軍に任じられた1192年で覚えるのが定番でしたが、いまは1185年を挙げる教科書が増えています。この記事では、成立年が動いた理由と、1180年から1192年までの段階的な成立という考え方を、「1分でわかる要約」と「深掘り解説」の2段構成でまとめました。

この記事は2段構成です。最初の「1分でわかる鎌倉幕府の成立」だけで、要点がつかめます。

さらに深掘りでは、次の3つの疑問を考察していきます。

・なぜ1192年では説明が足りないのか

・1180年から1192年に何が積み上がったのか

・「成立の年」は結局どれなのか


1分でわかる鎌倉幕府の成立


鎌倉幕府の成立は、一言でいえば、特定の日に興ったのではなく、12年をかけて積み上げたものです。

いま主流は1185年

源頼朝が全国に守護・地頭を置く権利を認められた年です。武士の政権が実質的に全国へ及んだ点を重く見る立場で、有力とされています。

1192年は「肩書きが追いついた年」

頼朝が征夷大将軍に任じられたのは1192年。ただしその前から政権は動いており、この年を成立とする見方は主流ではなくなりました。

答えは「段階的に成立」

1180年の侍所、1183年の東国支配権の公認、1184年の公文所・問注所、1185年の守護・地頭、1190年の全国的な軍事・警察権。どれも成立の一場面です。


成立年が動いたのは、新しい事実が見つかったからではありません。幕府の何を本質と見るかで、選ぶ年が変わるからです。成立とは、点ではなく線で捉えるもの。そう考えると、6つも候補がある理由がすっきりします。

おまけトリビア

じつは「鎌倉時代はいつ始まったのか」という問いも、まったく同じ理由で答えが割れています。時代の境目は、後から人が引いた線なんです。


ここから深掘り


ここまでが1分の要約です。ここからは、鎌倉幕府の成立をもう一歩深く知りたい方向けに解説します。

■鎌倉幕府の成立の背景


1180年、源頼朝は平氏打倒の兵を挙げ、数か月で東国を支配下に置きました。同じ年の12月、鎌倉に新しい邸宅を構え、盛大な移転の儀式を行っています。この儀式を、京都の朝廷から独立した政権の出発点と読み取る見方があります。頼朝は同じ年、御家人を統率する侍所も置きました。

つまり、武士の政権はまず「事実」として先に動き出しました。朝廷がそれを追認していくのは、そのあとです。ここが、成立年をめぐる話がややこしくなる出発点でもあります。事実が先か、公認が先か。どちらを成立の合図と見るかで、選ぶ年が変わってしまうのです。

■1180年から1192年の流れ


年出来事
1180年頼朝が挙兵、鎌倉に本拠を置く。侍所を設置
1183年寿永二年十月宣旨。朝廷が頼朝の東国支配を公認
1184年公文所(のちの政所)・問注所を開設
1185年壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡。文治の勅許で守護・地頭の設置が許される
1190年頼朝が上京。全国の軍事・警察を担う地位を確認される
1192年後白河法皇の死後、頼朝が征夷大将軍に任じられる


軍事、行政、裁判、そして全国への人事権。政権に必要な要素が、12年かけて1つずつそろっていきました。1190年の上京では、頼朝は右近衛大将にも任じられています。

■史実と学説


現在もっとも有力とされるのは1185年です。全国に守護・地頭を置く権利を得たことで、幕府の支配が東国の枠を超えたと考えるためです。

一方、1180年を推す立場は、朝廷の承認より先に東国で独立した政権が動いていた事実を重視します。1183年説は、その支配が公的に認められた点を成立の条件と考えます。1184年を挙げる見方もあります。政務を扱う公文所と、裁判を扱う問注所が開かれた年です。1190年説は、全国の軍事・警察を担う地位が確定したことを決め手とします。

並べてみると、対立しているのは事実ではなく定義だと分かります。武力で東国を押さえた時か、朝廷に認められた時か、統治の仕組みが整った時か、全国に人事権が及んだ時か、公的な肩書きを得た時か。幕府の何を本質と見るかで、答えが変わるだけなのです。だから「1192年は間違い」という言い方も、正確ではありません。1192年は、幕府の本質を測る物差しとしては弱いと判断されるようになった、というのが実際のところです。

1192年の征夷大将軍就任を成立とする従来の説は、幕府の本質に触れていないとして支持を失い、現在これを採る研究者はほとんどいないとされます。ただし1192年に意味がないわけではありません。武家の棟梁としての公的な地位がここで確定しました。なお、鎌倉幕府は少なくとも3段階の過程を経て成立したもので、特定の1つの時点を切り取って論じることは難しい、という指摘もあります。


■トリビアの真相


同じ論争は「鎌倉時代の始まり」にもあります。時代の始期についても1180年・1183年・1185年・1192年が挙げられ、1185年の守護・地頭設置に求める説が有力とされています。幕府の成立年と、まったく同じ顔ぶれです。偶然ではありません。

理由は単純で、「鎌倉時代」という区切り自体が、幕府の成立を基準に後世の人が引いた線だからです。当時を生きた人が「今日から鎌倉時代だ」と思ったわけではありません。年号の暗記が苦手でも心配はいりません。専門家でも1つに決めきれていない問いなのですから。

「幕府」という呼び名にも、同じことが言えます。幕府はもともと、出征中の将軍の陣営や、近衛大将の住まいを指す言葉でした。武家の政権そのものを「幕府」と呼ぶ考え方が広まったのは、江戸時代になってからです。当時の頼朝は「鎌倉殿」と呼ばれていました。

試験に出るポイント

「1185年=守護・地頭の設置」が最重要。年号だけでなく「なぜ1192年より1185年が有力とされるのか」=実質的な全国支配の開始を重く見るから、という理由まで答えられるようにしておきましょう。段階的成立という考え方もあわせて問われます。

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日本史用語集 山川出版

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