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18_80 ヨーロッパの拡大と大西洋世界 / ルネサンス

ジョルダーノ=ブルーノとは わかりやすい世界史用語2546

著者名: ピアソラ
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ジョルダーノ=ブルーノとは

ジョルダーノ=ブルーノは、ルネサンス後期のヨーロッパを思想の嵐の如く駆け巡り、その過激な宇宙観と哲学によって、最終的にはローマの異端審問所で火刑に処された、哲学史上最も論争的で悲劇的な人物の一人です。彼は、1548年にフィリッポ=ブルーノとして、古代ローマの遺跡が点在する南イタリアの町ノーラに生まれ、この地の豊かな古典の遺産と活火山ヴェスヴィオの圧倒的な存在感が、彼の想像力豊かな精神の原風景を形成しました。若くしてナポリの権威あるサン=ドメニコ=マッジョーレ修道院に入り、ジョルダーノという修道名を得た彼は、そこでアリストテレス=スコラ哲学とトマス=アクィナスの神学という、当時のヨーロッパの知的基盤を徹底的に学びました。しかし、彼の飽くなき知的好奇心と批判精神は、すぐに正統の教義の枠を越え、禁書とされたエラスムスの著作を読み、三位一体のような根幹的な教義に疑問を呈したことで、彼は異端の嫌疑をかけられることになります。1576年、迫りくる異端審問の追及を逃れるため、ブルーノは修道服を脱ぎ捨ててナポリを脱出し、それから十六年間にわたる、ヨーロッパ全土を舞台とした知的放浪の旅を開始しました。ジュネーヴ、トゥールーズ、パリ、ロンドン、ヴィッテンベルク、プラハ、フランクフルトと、彼はヨーロッパの主要な大学や宮廷を渡り歩き、その先々で、自らの宇宙論、記憶術、そして魔術的哲学を、対話篇や詩、論争的な講演を通じて精力的に発表し続けました。ブルーノの生涯は、コペルニクスの地動説を擁護し、無限宇宙論を唱えたことで教会の怒りを買い、科学的真理のために命を捧げた「科学の殉教者」として語られることが多いですが、その思想は、近代科学の枠組みだけでは到底捉えきれない、魔術、ヘルメス主義、そして新プラトン主義が複雑に絡み合った、ルネサンス的な知の奔流そのものでした。



知的遍歴の始まり

ジョルダーノ=ブルーノの知的形成期は、ナポリのサン=ドメニコ=マッジョーレ修道院における厳格なドミニコ会の教育と、そこからの逸脱への抗いがたい衝動によって特徴づけられます。1565年、十七歳でこの名門修道院に入ったブルーノは、アリストテレス哲学とトマス主義神学の精緻な体系を学び、その驚異的な記憶力と弁証法の才能は早くから周囲の注目を集めました。彼は、古典古代から伝わる「記憶術」、特にライムンドゥス=ルルスの「結合術」に深く傾倒し、同時に、修道院の図書館で新プラトン主義や「ヘルメス文書」といった神秘主義的な思想にも密かに触れ、魅了されていきました。彼の逸脱は、聖人像を修道室から撤去したり、三位一体の教義そのものに対する疑問を呈したりといった形で表面化し、1576年には本格的な異端審問のプロセスが開始されるに至ります。自らの思想的自由がもはや許容されないと悟ったブルーノは、修道会を捨てて逃亡の旅に出ました。イタリアを脱出した彼の最初の亡命先は、カルヴァン派が支配するジュネーヴでしたが、ここでも彼の妥協を知らない知的な傲慢さは激しい対立を引き起こし、投獄された末に公式な謝罪を余儀なくされました。その後、フランスのトゥールーズ大学で教鞭をとり、博士号を取得するなど比較的安定した時期を過ごしますが、激化する宗教戦争を避けて、1581年に首都パリへと向かいます。パリで、ブルーノは、その驚異的な記憶術の技を披露し、国王アンリ三世の知遇を得て、彼のキャリアにおける最初の黄金期を迎えました。神秘主義に関心を持つアンリ三世の庇護の下、彼は自らの記憶術の理論を詳述した最初の主要な著作『イデアの影について』(1582年)を出版し、宮廷で一躍時の人となりました。この著作でブルーノが提示した記憶術は、単なる技術ではなく、宇宙の根源的なイデアを表す図形と記号を精神の中で操作することによって、森羅万象の構造を理解し、神的な知へと至る道筋を示す、壮大な形而上学的なシステムでした。1583年、アンリ三世からの推薦状を携え、フランス大使の随員としてイングランドへと渡ることになり、彼の思想はここで新たな展開を迎えることになります。
ロンドンでの飛躍

1583年から1585年にかけてのロンドン滞在は、ジョルダーノ=ブルーノのキャリアの中で最も実り豊かな時期であり、彼はここで、コペルニクスの地動説を熱烈に擁護し、それを自らの無限宇宙論へと発展させた、一連の重要なイタリア語対話篇を出版しました。フランス大使カステルノーの邸宅に身を寄せたブルーノは、フィリップ=シドニーやジョン=ディーといった、エリザベス朝の最先端の知的サークルと交流しました。しかし、オックスフォード大学で行った講義では、伝統的なアリストテレス主義に固執する教授たちから激しい反発を買い、この経験への憤慨から、彼は最初のイタリア語対話篇『灰の水曜日の晩餐』(1584年)を執筆します。この中で、彼はオックスフォードの学者たちの無知を風刺しながら、コペルニクスの宇宙論を擁護しましたが、彼の関心は数学的なモデルよりも、それが示唆する哲学的な含意、すなわち旧来の宇宙観の打破という点にありました。続く二つの対話篇、『原因、原理、一者について』(1584年)と『無限、宇宙、諸世界について』(1584年)において、ブルーノは自らの形而上学と宇宙論の核心を体系的に展開します。彼は、宇宙が地球を中心とする有限なものだとするアリストテレス的なモデルを徹底的に論駁し、無限の力を持つ神が、その被造物である宇宙を有限なものに限定するはずがないという神学的信念に基づき、物理的に無限な宇宙を主張しました。この無限宇宙の中では、天と地の区別はなく、宇宙のあらゆる領域は同じ物質から構成され、同じ物理法則に従うと彼は考えました。そして、夜空に輝く恒星は我々の太陽と同じような天体であり、その周りを、我々の地球と同様に生命を宿す可能性のある無数の惑星が公転しているという、壮大なビジョンを提示したのです。ロンドン滞在中の彼の関心は宇宙論だけにとどまらず、『傲慢な獣の追放』(1584年)では宇宙的な規模での倫理的改革を寓意的に説き、『英雄的狂気について』(1585年)では神的な真理への情熱的な探求を新プラトン主義的な愛の哲学として展開しました。
ヨーロッパ放浪の果てに

1585年にパリに戻ったブルーノでしたが、そこでも再び激しい論争を引き起こし、ドイツのプロテスタント圏へと新たな放浪の旅に出ることになります。マールブルク、そしてルター派の拠点ヴィッテンベルクで教鞭をとった後、1588年には神秘主義の中心地であったプラハへと移り、ここで『魔術について』などの論文を執筆しました。ブルーノにとっての「魔術」とは、宇宙に遍在する共感と反感のネットワークを理解し利用する「自然魔術」であり、自然哲学の最高段階でした。その後、フランクフルトで自らの哲学体系の集大成となる著作群を精力的に出版していた1591年、彼の元に、ヴェネツィアの若い貴族ジョヴァンニ=モチェニーゴから、記憶術の秘儀を伝授してほしいという、運命的な招待状が届きました。十六年ぶりに故国イタリアの土を踏んだブルーノを待ち受けていたのは、パトロンであるはずのモチェニーゴによる裏切りでした。ブルーノが期待したほどの「秘儀」を明かさないことや、その過激な思想に不満と恐怖を感じたモチェニーゴは、彼を異端者としてヴェネツィアの異端審問所に告発しました。1592年5月に逮捕されたブルーノは、審問に対し、自らの哲学は信仰と矛盾しないと弁明し、和解の姿勢を見せていました。しかし、ブルーノがかつてドミニコ会を脱会した逃亡修道士であり、その思想がヨーロッパ中で問題視されていたことから、ローマの教皇庁異端審問所は彼の身柄の移送を強く要求します。ヴェネツィア共和国は当初抵抗したものの、最終的には教皇庁の圧力に屈し、1593年2月、ブルーノは鎖に繋がれてローマへと送られ、異端審問所の牢獄に収監されました。ここから、彼の生涯の最後を飾る、七年間にも及ぶ長く過酷な裁判が始まり、彼の全著作と全生涯が徹底的に精査されることになったのです。
信念の殉教とその遺産

ローマの異端審問所での七年間にわたる裁判の末、ジョルダーノ=ブルーノは、自らの哲学的信念の撤回を最後まで拒否し、1600年2月17日、ローマのカンポ=デ=フィオーリ(花の広場)で、生きたまま火刑に処せられました。裁判の焦点は、彼の宇宙論(特に世界の複数性)、魂の転生に関する見解、キリストの神性への疑問、そして魔術の実践など、彼の思想の多岐にわたりました。裁判の後半で審問官に加わったロベルト=ベラルミーノ枢機卿は、ブルーノが異端であるとする八つの命題を提示し、その撤回を迫りましたが、ブルーノは最終的に「私は撤回すべきこともないし、撤回することもない」と宣言したと伝えられています。死刑判決を言い渡された彼は、「判決を言い渡す汝らのほうが、それを受ける私よりも、おそらく大きな恐怖を感じているであろう」と言い放ったと言われています。判決から九日後、舌に猿轡をはめられたブルーノは、広場に組まれた薪の上で火にかけられ、その波乱に満ちた生涯を終えました。その死後、何世紀にもわたり、ブルーノは忘却、誤解、そして神話化の対象となり続けましたが、彼は近代思想の扉をこじ開けようとした、ルネサンスの最も大胆不敵な精神の一つとして記憶されています。十九世紀以降、彼は教会の権威主義に立ち向かい、科学的真理のために命を捧げた自由思想の殉教者として英雄視されるようになりました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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