ニューディール政策
1932年にアメリカ大統領選挙が行われ、
共和党の
フーヴァーに代わり、
民主党の
フランクリン・ローズヴェルトが大統領になります。
(第32代大統領フランクリン・ローズヴェルト)
彼は、恐慌を克服する手段として、
ニューディール政策を実行しました。
ニューディール政策とは新規まき直しの意味で、伝統的な
自由経済に代わり、政府が様々な方法で経済に介入・統制し、行き過ぎた資本主義を正そうというものでした。これは
修正資本主義政策とも言われ、イギリスの著名な経済学者
ケインズによって唱えられた学説に基づいて行われました。ニューディール政策では以下のようなことが行われました。
農業調整法(AAA=Agricultural Adiustment Act)
農業調整法とは、恐慌の原因にもなった農業生産の調整を図るために、農地の作付面積を制限したり、過剰農作物を政府が買い取るというものでした。これにより、農業従事者の所得の安定化が図られ、購買量が回復しました。
全国産業復興法(NIRA=National Industrial Recovery Act)
この法律は、企業の生産を政府が規制することで、生産の調整を図るものでした。これにより、過当競争に陥っていた各企業の利潤を確保させ、一方で労働者の団体交渉権などを認め、賃金の適正化を果たし、国民の購買力を回復させました。
テネシー川流域開発公社(TVA=Tennessee Valley Authority)
上記2つの法案とは別に、政府が創設したテネシー川流域の開発機関です。公社の名前の通り、政府が管理するもので、ダムや水路の総合開発を試みました。この事業により多くの失業者が雇用を確保し、一方で発電施設の建設によって一部の企業が独占していた電力の価格を低下させ、物価を引き下げることを目的としました。
(公共事業に従事する労働者)
このようなニューディール政策は不況時のアメリカ経済を立て直す大きなきっかけになりました。しかし、全国産業復興法は1935年に違憲判決を受けたため、労働者の権利の拡大を認めた
ワグナー法が新たに制定され、その後熟練労働者を中心とした労働組合だった
労働総同盟(AFL)から新たに
産業別組織会議(CIO)が発足し、未熟練労働者を中心に組織化が起こり、この層はニューディール政策を支持する勢力になりました。
このような政府の積極的な経済介入によって、アメリカ合衆国は次第に経済を立てなおしていきました。