オドアケルとは
オドアケル(434年頃 - 493年3)は、西ローマ帝国の最後の皇帝ロムルス=アウグストゥルスを廃位し、イタリアの支配者となったゲルマン系の軍人です。彼の統治は西ローマ帝国の終焉を象徴し、イタリアの歴史における重要な転換点となりました。
生い立ちと初期の経歴
オドアケルは433年頃、中部ドナウ地域で生まれました。彼の父はエデコとされ、オドアケルはスキリア族の一員とされています。若い頃から軍事訓練を受け、ローマ軍に仕官するようになりました。
ロムルス=アウグストゥルスの廃位
476年、オドアケルは西ローマ帝国の皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位しました。ロムルス・アウグストゥルスは父オレステスによって皇帝に擁立されましたが、実際の権力はほとんど持っていませんでした。オドアケルはローマ元老院の支持を得て、彼を退位させ、イタリアの支配者となりました。
イタリアの支配者として
オドアケルはローマ元老院と協力しながらイタリアを統治しました。彼は「イタリアの王」として知られ、名目上は東ローマ帝国の皇帝ゼノンに対して忠誠を誓いました。オドアケルはローマの法と伝統を尊重し、元老院や執政官の権威を復活させました。アリウス派のキリスト教徒でありながら、カトリック教会とも良好な関係を維持しました。
対外政策と軍事行動
オドアケルは、ヴァンダル王国との交渉を通じてシチリア島の一部を取り戻し、イタリアへの攻撃を一時的に停止させました。また、487年にはルギー族の王ファワを降伏させ、ローマ市民を取り戻しました。これにより、イタリアは一時的に安定し、ローマの人口も増加しました。
東ローマ帝国との対立
オドアケルと東ローマ帝国の関係は初めは良好でしたが、次第に緊張が高まりました。484年、オドアケルは東ローマ帝国の反乱者イルスを支持し、ゼノン皇帝との関係が悪化しました。その結果、ゼノンは東ゴート族の王テオドリックにオドアケル討伐を命じました。
テオドリックとの戦いと最期
489年、テオドリックがイタリアに侵攻し、オドアケルとの戦闘が始まりました。オドアケルはイゾンツォの戦いとヴェローナの戦いで敗北し、ラヴェンナに追い込まれました。493年、オドアケルは降伏し、テオドリックとの和解の宴で暗殺されました。
オドアケルの評価
オドアケルは、西ローマ帝国の終焉を象徴する人物として歴史に名を刻んでいます。彼の統治はローマの法と伝統を尊重し、イタリアの安定と繁栄に寄与しました。オドアケルの死後、テオドリックがイタリアの支配者となり、東ゴート王国が成立しました。
オドアケルの治世は短命でしたが、その影響は大きく、ローマ帝国の歴史において重要な転機をもたらしました。