ブルートゥスとは
マルクス・ユニウス・ブルートゥスは、共和政ローマ末期の著名な政治家であり、ガイウス・ユリウス・カエサルの暗殺に関与したことで特に知られています。
ブルートゥスの生涯
ブルートゥスは紀元前85年にローマで誕生しました。彼の父、マルクス・ユニウス・ブルートゥスはスッラとマリウスの内戦に巻き込まれ、ポンペイウスによって殺害されました。母であるセルウィリアはカエサルの愛人であり、ブルートゥスはカエサルと親しい関係を築いていました。
政治キャリア
ブルートゥスは若い頃から政治に関心を持ち、紀元前60年頃には造幣官としての職務を務めました。その後、紀元前53年にはキリキアの財務官に任命され、紀元前49年にはレガトゥス(副官)として活動しました。また、カエサルの信任を受けてガリアの総督としても任命されました。
カエサルとの関係と内戦
ブルートゥスはカエサルと親密な関係にありましたが、やがて彼の政治的信念はカエサルと対立するようになりました。紀元前49年にローマ内戦が勃発すると、ブルートゥスはポンペイウス側に加わり、ファルサルスの戦いでカエサルと対峙しました。カエサルはブルートゥスを傷つけないよう命じましたが、ポンペイウスが敗北すると、ブルートゥスはカエサルに降伏し、彼の恩赦を受け入れました。
カエサル暗殺
カエサルが内戦後に独裁的な権力を強める中、元老院内では共和制の終焉を懸念する声が高まりました。ブルートゥスはカエサルの暗殺計画に加わり、紀元前44年3月15日、イドゥス・マルティアエにカエサルを暗殺しました。この暗殺はカエサルの独裁に対する反発として行われ、ブルートゥスは「解放者」の一員として知られるようになりました。
暗殺後の内戦と死
カエサルの暗殺後、ローマは再び混乱に陥りました。ブルートゥスと彼の義兄弟であるガイウス・カッシウス・ロンギヌスは、カエサル派のマルクス・アントニウスとオクタウィアヌス(後のアウグストゥス)と対立しました。紀元前42年、フィリッピの戦いでブルートゥスとカッシウスは敗北し、ブルートゥスは自ら命を絶ちました。
ブルートゥスの名前は、カエサルの暗殺に関与したことで「裏切り者」の代名詞となりました。彼の行動はシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』でも描かれ、文学や歴史において重要な位置を占めています。一方で、ブルートゥスは共和制の維持を目指していたことから、その行動には複雑な背景があると言えます。