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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / ギリシア世界

ペロポネソス同盟とは わかりやすい世界史用語973

著者名: ピアソラ
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ペロポネソス同盟とは

ペロポネソス同盟は、古代ギリシアにおけるスパルタを中心とした都市国家の連合体であり、紀元前6世紀末に成立しました。この同盟は、特にペロポネソス戦争(紀元前431年〜404年)でアテナイを中心とするデロス同盟と対立したことで知られています。

同盟の成立と背景

ペロポネソス同盟は、スパルタが自国の安全を確保し、地域内の影響力を強化するために結成されました。スパルタは、紀元前6世紀にラコニアとメッセニアを征服し、その住民をヘロット(奴隷)として支配しましたが、北部のテゲアとの戦いに敗れた後、軍事的征服から外交的戦略に転換しました。

この新しい戦略の一環として、スパルタはテゲアと同盟を結び、これがペロポネソス同盟の始まりとなりました。その後、スパルタはアルゴスや他のペロポネソス半島の都市国家とも同盟を結び、同盟の範囲を拡大していきました。

同盟の構造と運営

ペロポネソス同盟は、スパルタを中心とした緩やかな連合体であり、各都市国家はスパルタと個別に同盟を結んでいました。同盟のメンバーは、スパルタと「同じ友と敵を持ち、スパルタに従う」という誓いを立てました。このため、同盟内の都市国家同士が戦争を行うことも可能でしたが、同盟が外部で軍事行動を行っている場合は内部での戦争が禁止されていました。

同盟の運営は、スパルタの指導者(ヘゲモン)によって主導され、各都市国家は代表を送り、重要な決定を行いました。このようにして、ペロポネソス同盟はスパルタの影響力を強化し、地域内の安定を図りました。

ペロポネソス戦争

ペロポネソス同盟は、紀元前431年から404年にかけてアテナイを中心とするデロス同盟と戦ったペロポネソス戦争で重要な役割を果たしました。この戦争は、ギリシア全土を巻き込む大規模な紛争となり、最終的にはスパルタが勝利を収めました。

戦争の結果、アテナイの勢力は大きく削がれ、スパルタはギリシア全土における覇権を確立しました。しかし、戦争の長期化とその後の内紛により、スパルタの支配力も次第に弱まっていきました。

同盟の衰退と解散

ペロポネソス同盟は、紀元前4世紀に入ると次第に衰退していきました。紀元前371年のレウクトラの戦いで、スパルタはテーベの将軍エパメイノンダスに敗北し、その後のスパルタの影響力は急速に低下しました。この敗北により、ペロポネソス同盟は事実上解散し、ギリシアの政治地図は大きく変わりました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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