趙とは
趙国は、紀元前5世紀に晋国が三分された際に、韓国、魏国と共に成立しました。趙国は、その後数世紀にわたり力を蓄え、紀元前5世紀中頃には白狄の国である代国を併合しました。春秋時代の終わりには、晋国は三つの強力な大夫によって分割され、その一人が趙家の祖である趙襄子でした。紀元前403年、周王は正式に趙国の存在を認め、韓国と魏国と共に独立した国家としました。一部の歴史家は、この認識をもって戦国時代の始まりとしています。
趙国の文化と社会
趙国は、軍事改革を行った武霊王の治世に大きな力を得ましたが、長平の戦いで秦国に大敗を喫しました。その領土は、現在の内モンゴル、河北省、山西省、陝西省の地域を含んでいました。趙国は、秦国、魏国、燕国、さらには胡人や匈奴などの遊牧民族と国境を接していました。首都は現在の河北省にある邯鄲でした。趙国は、行政家の慎到や儒家の荀況、名家の公孫龍など、多くの哲学者を輩出しました。
趙国の滅亡
趙国は、紀元前260年に秦国によって軍事的に完全に破壊されました。戦いで約5万人が殺され、降伏した約40万人の大部分が虐殺されました。最終的に趙国は紀元前222年に秦国によって併合されました。