弁論術とは
紀元前5世紀ころのアテネでは、民主制度が完成に近づきました。この時に重要性を増したのが、
弁論術です。
弁論術とは、議会や法廷の場で、市民たちに自分の意見を演説するときに用いる技術のことです。
この弁論術の重要性が、アテネで急速に高まった理由はどのようなものだったのでしょう。
民主主義と弁論
アテネの民主制度は、市民権を持つ成人の男性市民が、
民会という場所に参加することによって国政を動かす仕組みになっていました。
そして、様々な改革の結果、将軍職を除くほとんどの要職が、
くじ引きによって決められていました。
また他方で、法廷があったものの、専門の弁護士という職業がまだ確立していなかったので、市民は自分で自らの弁護を行う必要があったのです。
このような社会的背景から、民主制度において、多数の市民の支持や共感を得ることが最重要課題となったわけです。
弁論術は、当時、最も学ぶ価値のあるものとして認識されていました。そのため、
ソフィストという言われる職業教師が現れ、指導を行なっていたのです。
しかし、弁論術の隆盛は、その後それを駆使して登場したデマゴーゴスという指導者によってアテネの市民を衆愚政治へと導くようになり、アテネ民主制衰退のきっかけにもなりました。