新規登録 ログイン

18_80 米ソ冷戦と第三勢力 / 第三世界の自立と危機

中国文化大革命とベトナム戦争(劉少奇、鄧小平、反戦運動、開発独裁など) 受験対策問題 109

著者名: レキシントン
Text_level_2
マイリストに追加
ALT

中国文化大革命とベトナム戦争で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

中国の文化大革命

・中国では、毛沢東による大躍進政策により多数の農民が餓死したため、その後の共産党の指導者劉少奇鄧小平らにより調整政策が行われた。

・対外的には、1959年にチベットで反中国の僧侶たちが反乱を起こし、人民解放軍がこれを鎮圧した。この結果、中国からの弾圧を逃れようとダライ=ラマ14世がインドに亡命し、独立運動のシンボルとなった。中国とインドは、ダライ=ラマ14世の亡命以降の1962年に国境をめぐって中印国境紛争がおこった。

・またソ連とは、社会主義革命をめぐって中ソ論争(中ソ対立)がおこった。きっかけとなったのは、1956年のフルシチョフによるスターリン批判であった。アメリカとの平和共存政策を取り始めたソ連に対し、中国は反発し、その後ソ連は中国の技術援助打ち切り、対米接近、中印国境紛争に対する対インド武器援助など、対立が深まった。1969年には、ダマンスキー島(珍宝島)をめぐって大規模な戦闘がおこり、中ソ国境紛争が激化した。

・1966年から70年代初頭にかけて、文化大革命(プロリタリア文化大革命)という権力闘争がおこった。大躍進政策により権力を失った毛沢東は、共産党指導者となった劉少奇や鄧小平らを実権派(走資派)と呼び、この批判を紅衛兵らが支持し、中国各地で武装闘争をおこした。毛沢東は人民解放軍も取り込み、権力回復に成功したものの、中国国内は大混乱に陥った。その後夫人の 江青を含む四人組が文化大革命の継続を目指したが、1976年に毛沢東が死去すると、四人組は逮捕され、鄧小平に実権が移り、革命は終結した。

ベトナム戦争

・ベトナムでは、1955年にアメリカの支援を受けたゴ=ディン=ディエムバオ=ダイを追放し、ベトナム共和国を樹立した。ベトナム共和国は、南北統一選挙を拒否し、北のベトナム民主共和国に対抗した。

・1960年、腐敗した親米のゴ=ディン=ディエム政権を打倒するため、南ベトナム解放民族戦線が結成された。1964年、アメリカの駆逐艦が北ベトナムの魚雷を受けたとされるトンキン湾事件が発生し、翌年の1965年2月に北爆が開始され、ベトナム戦争がはじまった。

・南ベトナム解放民族戦線とベトナム共和国の内戦にアメリカ軍が介入し、最盛期に53万人の兵力が投入されたが、北ベトナムや南ベトナム解放民族戦線はソ連や中国の支援をうけ、これに対抗した。この間、アメリカ国内では財政赤字の拡大や反戦運動が拡大したため、1968年パリ和平会談が行われた。この会談によりアメリカ大統領ジョンソンは北爆の部分停止を声明し、その後北爆は全面停止された。しかし、1970年にカンボジアに戦闘地域が拡大すると北爆も71年に再開されたが、1973年1月にベトナム(パリ)和平協定が結ばれ、3月にアメリカ軍は撤退した。1975年、南ベトナム解放民族戦線の猛攻によりサイゴンが陥落し、南ベトナム政府は崩壊しベトナム戦争が終結した。1976年4月に統一選挙が行われ、7月にベトナム社会主義国が成立した。

・カンボジアでは、ロン=ノル政権を打倒後、民主カンボジア(民主カンプチア)が成立しシハヌークが国家元首となったが、その後、クメール=ルージュを率いた ポル=ポト政権が1976年に成立し、農村への強制移住や、知識人を中心とした大量虐殺をおこなった。ポル=ポト政権は、ベトナム軍とヘン=サムリン軍の攻撃を受け壊滅した。

・ラオスではラオス愛国戦線がアメリカ軍撤退後に王政を廃止し、ラオス人民民主共和国に改称した。

開発独裁

・1960年代半ば以降、アジアでは経済効率を進めることを理由に開発独裁が行われた。

・韓国では、李承晩の亡命後に張勉内閣が成立したが、1961年に朴正熙によるクーデターが起き、朴はその後大統領に就任した。この政権下で、日韓基本条約の締結やベトナム戦争への派兵などが行われた。

・フィリピンでは、 マルコスが大統領となり長期政権を維持した。

・シンガポールでは、リー=クアンユーが首相となり、経済発展に成功した。

・マレーシアでは、マハティールが首相となり、日本の経済発展を元にしたルック=イースト政策を進めた。

・ビルマでは、1972年のクーデター以降ネ=ウィンが政権を握り、閉鎖的なビルマ社会をつくった。

・インドネシアでは、1960年以降、スカルノが提唱したナサコム(NASAKOM)という統一戦線が組織されたが、九・三〇事件というクーデターによりスカルトが失脚し、ナサコムも崩壊した。クーデターを収拾したスハルトは実権を握り、1968年に大統領に就任後、反共親米路線をとり、経済発展をはかった。スハルトは、一族の利権独占などの批判を受け、1998年に辞任した。

・1967年8月、インドネシア・マレーシア・シンガポール・フィリピン・タイが東南アジア諸国連合(ASEAN)を結成した。のちにベトナム・ミャンマー・ラオス・カンボジアが加盟した。

・中東のイランでは、1951年に石油が国有化されたが、その後53年にクーデターがおき、モサデク政権が崩壊した。イランにはパフレヴィー2世という国王がいたが、上からの近代化政策である白色革命を強行に進めたため反国王感運動が起こり、亡命した。
Tunagari_title
・中国文化大革命とベトナム戦争(劉少奇、鄧小平、反戦運動、開発独裁など) 受験対策問題 109

Related_title

Keyword_title

Reference_title
『世界史B 教科書』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

この科目でよく読まれている関連書籍

このテキストを評価してください。

※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。

 

テキストの詳細
 閲覧数 8,551 pt 
 役に立った数 3 pt 
 う〜ん数 0 pt 
 マイリスト数 0 pt 

知りたいことを検索!

まとめ
このテキストのまとめは存在しません。