ヨーロッパの東西分断で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
イギリスの状況
・1945年の総選挙で首相となった
アトリーは、労働党内閣を組織し、「ゆりかごから墓場まで」という福祉社会制度の充実を目指した。また国内ではイングランド銀行や石炭産業などの重要産業を
国有化した。
・1951年になると、第二次世界大戦中に
挙国一致内閣で活躍した
チャーチルが総選挙で勝利し、保守党による
第二次チャーチル内閣が成立した。この内閣で外相を務めた
イーデンは、チャーチルのあとを受け首相となったが、1956年に
スエズ動乱(第2次中東戦争)を招いた責任をとり退陣した。
・第二次世界大戦中の
エールは中立を守りぬき、戦後の1949年にイギリス連邦から脱退し
アイルランド共和国に改称した。
フランスの状況
・フランスでは、
ド=ゴールの亡命先ロンドンで成立していた
自由フランス政府が1944年に改組され、
フランス臨時政府が成立した。1946年には、
第四共和政がはじまり、第四共和国憲法が制定され、人権宣言の再確認・男女完全平等・基本的人権の保障・専制排除が定められ、議院内閣制がとられた。
・1920年に成立した
フランス共産党は、大戦中レジスタンス運動の中核を担った。この政党は単独政権にはなれなかったものの、第一党として幾度か政権に参加した。1948年以降は野党となった。
イタリアの状況
・1946年の国民投票の結果、イタリアでは王政が廃止され、以後共和制となった。以後
イタリア共産党・イタリア社会党・キリスト教民主党などが政治を動かした。
東欧の状況
・第二次世界大戦後の東ヨーロッパでは、各地で
人民民主主義が成立し、ポーランド(1945年)・ハンガリー(1949年)・ルーマニア(1947年)・ブルガリア(1946年)・アルバニア(1946年)ユーゴスラヴィア(1945年)など様々な社会主義国が誕生した。
・ユーゴスラヴィアでは、大戦中ドイツに抵抗した指導者
ティトーがスターリン支配を拒否し、1948年
コミンフォルムから除名された。以後ユーゴスラヴィアは西側に接近し、独自の社会主義建設と中立外交をとるようになった。
冷戦のはじまり
・第二次世界大戦末期から戦後にかけて、アメリカとソ連の直接的な軍事衝突がない
「冷たい戦争」(冷戦)がはじまった。
・1946年にイギリスの首相チャーチルは、ソ連がバルト海の
シュテッティンからアドリア海の
トリエステまで「
鉄のカーテン」をおろしているとし、東側の勢力拡大を非難した。
・ソ連の勢力拡大に対し、アメリカのトルーマン大統領は
封じ込め政策を行い、反共諸国に対する軍事・経済的援助を進めた。この政策には、ギリシア・トルコに援助を行い、共産化を阻止するとした
トルーマン=ドクトリン、アメリカの援助によるヨーロッパ復興計画の
マーシャル=プラン、
北大西洋条約機構(NATO)の創設などが挙げられる。
・1948年、マーシャル=プランを受け入れる西欧16カ国は、
ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)を結成し、これがのちの
経済協力開発機構(OECD)に発展した。戦後から1960年代までの時代を「
アメリカの平和」といい、アメリカは長らく資本主義世界の主導権を握った。
・一方、共産主義陣営でもマーシャル=プランに対抗し
コミンフォルム(共産党情報局)が組織され、最終的にソ連・フランス・イタリア・ブルガリア・ルーマニア・ハンガリー・ポーランド・チェコスロヴァキア・ユーゴスラヴィア(48年除名)・東ドイツが加盟した。
・1949年には、
コメコン(東欧経済相互援助会議)が成立し、ソ連・ユーゴスラヴィアを除いた東欧7カ国とモンゴル共和国が加盟した。62年にアルバニア脱退、72年キューバ、78年ベトナムが加盟した。
・1948年、チェコスロヴァキアでクーデターがおこり(
チェコ革命)、マーシャル=プランの受け入れをの可否が問われたが、最終的に共産党政権が樹立された。この事件に対し、西側は
西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)をむすび、これは後にNATOの発展した。
・1948年6月、アメリカ・イギリス・フランスはドイツの
西側管理地区通貨改革をソ連に無断で行ったため、これに反発したソ連がベルリン封鎖を行った。ベルリン封鎖に対し、西側3国は大空輸作戦で西ベルリンへ物資を届けた。
ドイツの復興
・連合国に占領されたドイツでは、1949年5月に
ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立し、10月には
ドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立し東西に分断された。
・
ボンを首都とした
西ドイツでは、
キリスト教民主同盟の
アデナウアーが首相となり、急速に経済復興を遂げた。1954年の
パリ協定で西ドイツの主権が回復し、NATO加盟や再軍備が認められ、その後
西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)へも加盟した。1955年には、ソ連と国交を回復した。
・
ベルリンを首都とした
東ドイツでは、
社会主義統一党(SED)が一党独裁体制を成立させ、政権を独占した。1955年、
オーストリア国家条約がイギリス・アメリカ・フランス・ソ連の間で調印され、4カ国共同管理の解消とオーストリアが永世中立国として独立した。
・1955年5月には、東側の軍事同盟として
ワルシャワ条約機構(東欧8カ国有効相互援助条約)が調印された。加盟国は、ソ連・ポーランド・東ドイツ・チェコスロヴァキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニアであった。