平家物語
西光被斬
新大納言成親は、山門の騒動によって、私の宿意をばしばらくおさへられけり。そも内義支度はさまざまなりしかども、義勢ばかりでは、この謀反かなふべうも見えざりしかば、さしもたのまれたりける多田蔵人行綱、この事無益なりと思ふ心つきにけり。弓袋の料におくられたりける布共をば、直垂、帷(かたびら)に裁ちぬはせて、家子郎等どもに着せつつ、目うちしばだたいて居たりけるが、つらつら平家の繁昌する有様を見るに、当時たやすくかたぶけがたし。よしなき事にくみしてんげり。もしこの事洩れぬる物ならば、行綱まづ失はれなんず。他人の口より洩れぬ先に返り忠して、命いかうど思ふ心ぞつきにける。
同じき五月廿九日の小夜ふけがたに、多田蔵人行綱、入道相国の西八条の亭に参って、
「行綱こそ申すべき事候間、参って候へ」
と言はせければ、入道、
「常にも参らぬ者が参じたるは何事ぞ。あれ聞け」
とて、主馬判官盛国を出だされたり。
「人伝(ひとづて)には申すまじき事なり」
と言ふ間、さらばとて、入道自ら中門の廊へ出でられたり。
「夜ははるかにふけぬらむ。ただ今いかに、何事ぞや」
と宣へば、
「昼は人目のしげふ候間、夜にまぎれて参って候。このほど院中の人々の兵具をととのへ、軍兵を召され候をば、何とか聞こしめされ候ふ」
「それは、山攻めらるべしとこそ聞け」
と、いと事もなげにぞ宣ひける。行綱ちかう寄り、小声になって申しけるは、
「その儀では候はず、一向御一家の御上とこそ承候へ」
「さてそれをば法皇もしろしめされたるか」
「子細にや及び候。成親卿の軍兵召され候も、院宣とてこそ召され候へ」
俊寛がとふるまうて、康頼がかう申して、西光がと申して、などいふ事ども、はじめよりありのままにはさし過ぎて言ひ散らし、
「いとま申して」
とて出にけり。