内裏の局
内裏の局(つぼね)、細殿、いみじうをかし。
上の蔀(しとみ)あげたれば、風いみじう吹き入れて、夏もいみじう涼し。
冬は、雪あられなどの、風にたぐひて降り入りたるも、いとをかし。
狭くて、童(わらはべ)などののぼりぬるぞあしけれども、屏風のうちに隠しすゑたれば、こと所の局のやうに、声たかくゑ笑ひなどもせで、いとよし。
昼なども、たゆまず心づかひせらる。
夜はまいて、うちとくべきやうもなきが、いとをかしきなり。
沓(くつ)の音、夜一夜聞ゆるが、とどまりて、ただ指(および)一つしてたたくが、その人なりと、ふと聞ゆるこそをかしけれ。
いと久しうたたくに、音もせねば、寝入りたりとや思ふらむと、ねたくて、すこしうちみじろぐ衣のけはひ、さななりと思ふらむかし。
冬は、火桶にやをら立つる箸の音も、忍びたりと聞ゆるを、いとどたたきまさり、声にてもいふに、かげながらすべり寄りて聞く時もあり。
また、あまたの声して詩誦(ず)じ、歌などうたふには、たたかねどまづあけたれば、ここへとしも思はざりける人も立ちとどまりぬ。
居るべきやうもなくて立ちあかすも、なほをかしげなるに、木丁のかたびらいとあざやかに、裾のつま、すこしうち重なりて見えたるに、直衣(なをし)のうしろにほころびたえすきたる君達、六位の蔵人の青色など着て、うけばりて遣戸(やりど)のもとなどにそば寄せてはえ立たで、塀のかたにうしろおして、袖うちあはせて立ちたるこそ、をかしけれ。
また、指貫いと濃う、直衣あざやかにて、色々の衣どもこぼしいでたる人の、簾を押し入れて、なからいりたるやうなるも、外より見るはいとをかしからむを、きよげなる硯引きよせて文かき、もしは、鏡こひて鬢(びん)なをしなどしたるは、すべてをかし。
三尺の木丁を立てたるに、帽額(もかう)のしも、ただすこしぞある、外(と)に立てる人と内にゐたる人ともの言ふが、顔のもとにいとよくあたりたるこそをかしけれ。
たけの高く、短からむ人や、いかがあらむ。
なほ世のつねの人はさのみあらむ。
まいて、臨時の祭の調楽などは、いみじうをかし。
主殿寮(とのもり)の官人、ながき松をたかくともして、頸(くび)は引きいれて行けば、さきはさしつけつばかりなるに、をかしう遊び、笛ふきたてて心ことに思ひたるに、君達、日の装束して立ちどまりもの言ひなどするに、供の随身(ずいじん)どもの、前駆(さき)を忍びやかにみじかう、おのが君達の料に追ひたるも、遊びにまじりて、つねに似ずをかしう聞ゆ。
なほ、あけながら帰るを待つに、君達の声にて、
「荒田に生ふる、とみ草の花」
と歌ひたる、このたびは今すこしをかしきに、いかなるまめ人にかあらむ、すくすぐしうさし歩みていぬるもあれば、笑ふを、
「しばしや。『など、さ、世を捨てて急ぎたまふ』とあり」
など言へば、ここちなどやあやしからむ、たふれぬばかり、もし人などや追ひて捕ふる、と見ゆるまで、まどひ出づるもあめり。