はじめに
前回は、モンゴル民族を統一し、大帝国を創り上げたチンギス=ハンについてでした。このテキストでは、彼の死後のモンゴル帝国について見ていきましょう。
チンギス=ハンの死去とその後
チンギス=ハンは、西トルキスタンやイランを支配下に置いていたイスラム国
ホラズムに進軍し、1221年にこの国を滅ぼしました。
その後、中国の金を攻略する途上で、現在の甘粛省六盤山で死去します。
チンギス=ハン亡き後、モンゴル民族の族長会議である
クリルタイが行われ、チンギス=ハンの第3子、
オゴタイが君主となります。
(オゴタイ=ハン)
オゴタイは、亡き父の征服活動をひき続き行います。
1235年には、中国の別の王朝だった南宋と結託し金を滅ぼし、チンギス=ハンの遺業を成し遂げました。
またオゴタイは、外モンゴルの
カラコルム(和林)をモンゴル帝国の首都に定め、チンギス=ハンに仕えた
耶律楚材(1190~1224)に新しい内政制度を確立させました。