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トラヤヌス帝とは わかりやすい世界史用語1112
著作名: ピアソラ
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トラヤヌス帝とは

トラヤヌス帝(53年 - 117年)は、98年から117年にかけてローマ帝国の皇帝を務めました。彼は五賢帝の一人とされ、ローマの領土を最大限に拡大したことで知られています。トラヤヌスの治世は、軍事的な成功と公共事業の推進によって特徴付けられています。

トラヤヌスの生い立ち

トラヤヌスは、現在のスペインにあたるヒスパニア・バエティカのイタリカで生まれました。彼の家系はイタリア系で、父マルクス・ウルピウス・トラヤヌスは著名な将軍であり、元老院の議員でもありました。トラヤヌスはドミティアヌス帝の治世に頭角を現し、ゲルマン部族との戦争で名を馳せました。



皇帝即位

96年にドミティアヌスが暗殺された後、ネルウァが皇帝に即位しましたが、軍隊の支持を得るためにトラヤヌスを養子に迎えました。ネルウァの死後、98年にトラヤヌスが皇帝として即位しました。

軍事的成功

トラヤヌスはローマ帝国の領域を大幅に拡張しました。彼の最も著名な軍事遠征はダキア征服で、101年から106年にかけてダキア戦争を行い、この地域をローマの属州としました。また、彼はパルティア帝国との戦争にも勝利し、アルメニア、メソポタミア、アッシリアをローマ領に加えました。

公共事業

トラヤヌスは公共事業にも注力しました。彼の治世に建設されたトラヤヌスの市場やトラヤヌスの柱は、ローマ建築の象徴となっています。さらに、道路や橋、港湾施設の建設を進め、ローマ帝国全体のインフラを大幅に向上させました。

社会福祉

トラヤヌスは社会福祉政策にも力を入れました。彼は貧しい家庭の子供たちを支援するための「アリメンタ」制度を導入し、多くの子供たちが教育を受ける機会を得ることができました。この制度はローマ帝国の社会的安定に寄与しました。

晩年と死

トラヤヌスは117年に病にかかり、現在のトルコにあたるセリヌスで亡くなりました。彼の死後、トラヤヌスは神格化され、後継者としてハドリアヌスが即位しました。

トラヤヌスの評価

トラヤヌスは古代ローマの歴史家たちによって称賛されました。彼の治世はローマ帝国の最盛期を象徴し、後の皇帝たちにとっての模範となりました。トラヤヌスの軍事的成功、公共事業、社会福祉政策は、ローマ帝国の繁栄と安定に多大な貢献をしました。

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