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ハドリアヌス帝とは わかりやすい世界史用語1113
著作名: ピアソラ
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ハドリアヌス帝とは

ハドリアヌス帝(76年 - 138)は、117年から138年までローマ帝国の皇帝として君臨しました。彼は五賢帝の一人として知られ、ローマの統治や文化に大きな影響を与えました。ハドリアヌスの治世は、領土防衛、内政の強化、そして文化的な発展が特徴です。

ハドリアヌスの生い立ち

ハドリアヌスは、現在のスペインにあたるヒスパニア・バエティカのイタリカで誕生しました。彼の家族はイタリア系で、父のプブリウス・アエリウス・ハドリアヌス・アフェルは元老院の議員でした。幼少期からギリシャ文化に強い関心を持ち、「グラエクルス(小さなギリシャ人)」と呼ばれるほどでした。



皇帝即位

117年、トラヤヌスが死去すると、ハドリアヌスが彼の後を継いで皇帝に即位しました。トラヤヌスの妻であるポンペイア・プロティナの支援が、彼の即位に大きな役割を果たしました。即位後、ハドリアヌスはトラヤヌスの拡張政策を見直し、ローマ帝国の防衛に重点を置きました。

防衛政策と建築事業

ハドリアヌスは、帝国の防衛を強化するために多くの建築事業を推進しました。その中でも特に有名なのが、現在のイギリスに築かれたハドリアヌスの長城です。この長城はローマ帝国の北の境界を示し、異民族の侵入を防ぐために建設されました。また、ローマ市内ではパンテオンやヴィーナスとローマ神殿など、多くの重要な建築物を残しました。

文化と社会改革

文化愛好家としても知られるハドリアヌスは、アテネで多くの時間を過ごし、同市の再建に尽力しました。また、法制度の改革にも取り組み、ローマ法の整備を進めました。治世中には奴隷の待遇改善や女性の権利拡大といった社会的改革も実施されました。

晩年と死

晩年には健康を損ない、138年にバイアエで亡くなりました。彼の死後、養子のアントニヌス・ピウスが後を継ぎ、ハドリアヌスは神格化されました。彼の治世は後世に大きな影響を与えました。

ハドリアヌスの評価

古代ローマの歴史家たちは、ハドリアヌスを賢明で文化的な皇帝と評価しています。彼の治世はローマ帝国の安定と繁栄をもたらし、後の皇帝たちにとっての模範となりました。ハドリアヌスの防衛政策や文化への貢献は、ローマ帝国の歴史において重要な意味を持っています。

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