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古代ローマの歴史 2 イタリア半島の統一とポエニ戦争
著作名: ピアソラ
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イタリア半島の統一と分割統治

パトリキ(貴族)とプレブス(平民)の身分闘争と並行して、ローマは領土を拡大していきます。

まず、ローマ周辺から領土を広げ、エトルリア人ラテン人、北方のガリア人などを撃破していきます。紀元前272年には、イタリア半島南部のマグナ・グレキア(大ギリシア)という地域のタレントゥムを占領し、ギリシア人を征服しました。

こうして、ローマはイタリア半島を統一するわけです。

ローマは占領した地域を統治する方法として、分割統治をとりました。

これは、ローマが異なる地域や民族を支配するために、征服都市を植民市自治市同盟市という3つにわけ、それぞれ権利や義務に差をつけることよって各都市の団結と反乱を防ぐ支配方法でした。

都市名内容
植民市ローマ市民と同等の市民権。
自治市私法上の市民権のみで、軍事・裁判などの権利はない。
同盟市軍役義務。市民権がない。


ローマの分割統治では、植民市が一番待遇の良い都市でした。


ポエニ戦争のはじまり

イタリア統一後、ローマは地中海征服をめざして各地を征服していきます。

ちょうどその頃、地中海はカルタゴの勢力圏でした。

カルタゴは紀元前9世紀頃に、フェニキア人の作ったティルスという都市が北アフリカに作った植民市でした。

本国のティルスが衰退した後も経済的に発展し、紀元前3世紀頃シチリア島を含む地中海の多くの地域を支配下に治めていました。

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(紀元前3世紀ころのカルタゴの勢力圏)

紀元前264年、ローマとカルタゴが地中海の覇権をめぐって開戦します。

3回にわたるポエニ戦争(紀元前264~紀元前146)のはじまりです。

ポエニとは、ラテン語でフェニキア人のことを意味します。


第1回ポエニ戦争(紀元前264~紀元前241)

ローマがカルタゴ支配下のシチリア島に侵攻し、開戦します。

ローマが勝利し、戦後シチリア島を獲得。総督を派遣し、ローマ初の属州にします。

属州とは、イタリア半島以外の征服地のことです。住民の自治は許されず、納税と軍役の義務を課せられ、ローマから派遣された総督や徴税請負人によって搾取されました。


第2回ポエニ戦争(紀元前218~紀元前201)

カルタゴの名将ハンニバルが、ローマに反撃した戦いです。

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(ハンニバル)

ハンニバルはヒスパニア(現在のスペイン)を本拠地にし、当時不可能と思われていたアルプス越えを成功させて、ローマに侵攻します。

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(アルプスを越えるカルタゴ軍)

アルプス方面からの侵攻に驚いたローマ軍は、紀元前216年、カンネーの戦いでカルタゴ軍に惨敗し、一時ローマは危機的状況になりました。

危機的状況の中、ローマの将軍大スキピオは、カルタゴ軍の本拠地ヒスパニアを攻撃後、カルタゴ本国に侵攻する戦略をとります。

カルタゴ本国は急遽ハンニバルを呼び戻します。

紀元前202年、帰国したハンニバルとローマ軍の間にザマの戦いが起こり、その結果ローマ軍が大勝利をおさめます。

大敗したカルタゴは、全海外領土を失い、多額の賠償金とともに、地中海の支配権をローマに奪われることになりました。

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(第2回ポエニ戦争)

第3回ポエニ戦争(紀元前149~紀元前146)

第二回ポエニ戦争敗戦後も、依然として経済力を保持していたカルタゴに対し、ローマは危機感を持っていました。ローマの政治家大カトーが演説でカルタゴ殲滅を訴えた結果、将軍小スキピオの軍団が攻撃し、カルタゴを滅亡させました。

3回にわたるポエニ戦争と並行して、ローマは周辺諸国との戦争を継続します。

ギリシアと東地中海をめぐって紀元前216年からマケドニア戦争を起こし、最終的にギリシアを粉砕します。

こうして、対外侵略により各地で戦争を続けた結果、ローマは広大な領土を支配下に置き、各地域の属州から豊富な富を集めるようになります。

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