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衛満とは わかりやすい世界史用語451
著作名: ピアソラ
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衛満とは

衛満(えいまん、生没年不詳)は、紀元前190年頃に朝鮮半島北部に衛氏朝鮮を建国した人物です。彼は中国燕の出身で、朝鮮の歴史において同時代の歴史書に明記される最初の君主とされています。衛満に関する最も古い記録は『史記』であり、彼の名前は「満」とだけ表記されています。姓を「衛」と記すのは『三国志』裴松之の注で引かれた『魏略』以降の文献で見られます。

衛満の生涯については、『史記』および『漢書』に詳細に記述されており、それによると、衛満は燕人であり、燕王であった盧綰の部下だったとされています。盧綰は漢朝の高祖の幼馴染であったが、謀反の嫌疑により漢軍の討伐を受け、前195年に盧綰は匈奴に亡命しました。衛満も東方へ逃れ、千戸を率いて浿水(現在の鴨緑江)を渡河し、「秦故空地上下鄣」に定住しました。この地は、無人の荒地または平野や中州を指し、以前から中国勢力がこの地域に進入し、植民地化していた場所でした。

衛満は、朝鮮西部に亡命者の集落を作り、燕・斉・趙からの亡命者を誘い入れ、亡命者集落の指導者となりました。彼は朝鮮に隷属しながらも自立した政権を築き、軍事的性格が非常に強い連合政権を形成しました。そして、ある時、衛満は芝居を打ち、前漢が攻めてきたと詐称して、準王を護るという口実で、王都に乗り込みました。準王は衛満に応戦したが、『魏略』によると準王は衛満と戦ったが、勝負にならなかったと記されています。結果として、衛満は箕子朝鮮を滅ぼし、衛氏朝鮮を建国しました。王険城(現在の平壌)を王都としました。

衛満は、漢朝の外臣となり、前漢皇帝は衛満を遼東太守の外臣とし、東方からの異民族の侵入に備えるとともに、衛満の朝鮮方面における支配圏の拡大を支持しました。衛氏朝鮮の政権は、衛満の朝鮮侵攻に従った燕人、真番と朝鮮の土着の「蛮族」、衛氏朝鮮樹立後に河北・山東・遼東から移住してきた漢人からなる連合体でした。

衛氏朝鮮の歴史は、その後も漢朝との関係や内部の政治動向によって複雑な展開を見せました。最終的には前108年、漢の武帝の時代に漢の衛氏朝鮮遠征によって滅ぼされ、楽浪郡などの漢四郡が設置されました。これにより、衛氏朝鮮は歴史の舞台から姿を消し、朝鮮半島の歴史は新たな局面を迎えることになりました。

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