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宗教改革1 ~ルターによる宗教改革はなぜ起こったのか~
著作名: エンリケ航海王子
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はじめに


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宗教改革は近代ヨーロッパを形作った出来事として、ルネサンスと共に重要視されている運動です。
このテキストでは宗教改革が何故起こり、そしてどのような影響を及ぼしたかを見ていきましょう。

なぜ「改革」が必要だったのか?

この時代、キリスト教の総本山はカトリック教会でしたが、なぜ改革が必要だったのでしょうか。カトリック教会の強さは、ピラミッド階層による組織力だったのですが、次第に聖職者の世俗化が始まり、教会内の腐敗が広がっていきました。この状況を改革する必要性が出てきたのです。

14世紀のイギリスオクスフォード大学教授のウィクリフ、15世紀のプラハ大学教授のフス、15世紀末フィレンツェで改革を行ったサヴォナローラなど宗教改革の前段階でも教会改革者はいました。
しかし、彼らはカトリック教会により異端の烙印を押され、火刑にされてしまいました。

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(法廷で裁きを受けるウィクリフ)

中世以降、このような腐敗を改善する運動が度々起こりましたが、それらは部分部分の教会改革で、カトリック教会全体を否定するものではありませんでした。それほどまでに、改革者にとってカトリック教会は強大な権力を有していたのです。

16世紀のドイツの状況

当時の神聖ローマ帝国、すなわちドイツの状況を理解することで、なぜ宗教改革がドイツから起こったかがわかります。

1519年から1556年まで、神聖ローマ帝国皇帝はカール5世でした。彼はスペイン王カルロス1世としてスペインも統治していました。

しかし、当時の神聖ローマ帝国は各地のドイツ諸侯が乱立し、分裂状態でした。つまり、ドイツ国内はカール5世VSドイツ諸侯という構図になっていたんですね。

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(カルロス1世=カール5世像)

このような分裂状態に加え、ドイツはカトリック教会からも搾取されていました。
時のローマ教皇はレオ10世。彼はメディチ家出身でカトリックの権威を立て直すために、商才を用いて多額の資金をヨーロッパ全土から集めていました。
特に搾取されたのがドイツで、当時のドイツは「ローマの牝牛」と揶揄されるほどでした。

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(ローマ教皇レオ10世)

こうした状況の中、ドイツ国内の商工業者や農民層は、カトリックに批判的な感情を抱くようになるのです。



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