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地中海東岸とユダヤ人の歴史(アラム人、フェニキア人、ユダヤ人など) 受験対策問題 4
著作名: レキシントン
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地中海東岸とユダヤの歴史で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

地中海東岸の諸民族

・地中海東岸とは、シリア・レバノン・パレスチナといった地域を指し、民族系統不明の「海の民」や、セム系のアラム人、フェニキア人、ヘブライ人が定住した土地であった。

・「海の民」とは、紀元前13世紀末から紀元前12世紀のはじめにかけて地中海沿岸の地域に侵入した民族系不明の諸民族のこと。

アラム人

アラム人とは、紀元前12世紀から紀元前8世紀にかけてシリアに定住した遊牧民で、内陸中継貿易を行った。最終的に、アッシリアに服属。

・アラム人は、文化的にさまざまな遺産を残した。まず、彼らの言語アラム語は、当時の国際商業語となり、後にアッシリア・新バビロニア(カルデア)・アケメネス朝ペルシアなど、大国の公用語にもなった。

・また、22の子音からなるアラム文字は西アジアに伝わり、西方のヘブライ文字・アラビア文字、東方のソグド文字・突厥文字・ウイグル文字・モンゴル文字・満州文字の元になった。

フェニキア人

フェニキア人とは、もともとカナーン人の一派であったが、現在のレバノン沿岸に多くの都市国家を建設し、紀元前12世紀には地中海貿易を独占して栄えた。

・フェニキア人の有名な都市国家はシドンティルスであり、ティルスは後に植民市カルタゴを建設した。

・現在のアルファベットは、シナイ文字を元にしてフェニキア人達が作ったフェニキア文字が元になった。

パレスチナとユダヤの歴史

パレスチナとは、地中海東岸の南部地域を指し、もともと先住していたカナーン人から、古くはカナーンの地と呼ばれていた。その後土着したペリシテ人(フィリスティア人)にちなみ、パレスチナといわれるようになる。

ヘブライ人とは、もともとユーフラテス川上流で遊牧生活をしていた民族で、紀元前1500年頃にパレスチナに移住し先住のカナーン人を服属させた。また、その際一部はエジプトへも流れたが、新王国時代のエジプトで迫害を受けたため、紀元前13世紀ころに、預言者モーセに率いられてパレスチナに脱出した。この事件を出エジプトという。この時シナイ山でモーセが唯一神ヤハウェから授かったとされる十戒は、その後のユダヤ教の律法のもととなる。

・紀元前1000年ころには、ヘブライ王国を建設し、第2ダヴィデ王が首都イェルサレムを定め最盛期を築き、第3ソロモン王はイェルサレムにヤハウェの神殿を建立した。

・ヘブライ王国は紀元前922頃分裂し、北のイスラエル王国と南のユダ王国にわかれた。

・イスラエル王国は紀元前922年頃から紀元前722年まで続いたが、最後はアッシリアに滅ぼされた。

・ユダ王国は紀元前922年頃から紀元前586年頃まで続き、新バビロニア(カルデア)によって滅ぼされた。

・ユダ王国滅亡後、住民の多くが新バビロニアネブカドネザル2世によってバビロンに強制移住させられた。これをバビロン捕囚という。その後紀元前538年に、新バビロニアを滅亡させたアケメネス朝ペルシアキュロス2世によって解放された。解放後、ユダヤ人はヤハウェの神殿を再興し、ユダヤ教を成立させた。また、バビロン捕囚により、メソポタミアの文化や神話、伝説がユダヤ教に反映された。

・ヘブライ人は外国人からの呼び名で、彼らの自称はイスラエル人である。また、バビロン捕囚後はユダヤ人と呼ばれる事が多い。

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